海外飛び出すことになったブログ

やっと海外に住みはじめました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

マラウイいる間の「税法上の居住地国」はどこ?日本?マラウイ?

実特法!

 

金融機関の人は2017年になってずいぶん耳慣れたもんやと思いますが、法律ってややこしくてぎゃーってなりますね。

 

なんでこれを考えるに至ったかというと、今加入しているアフラック医療保険マラウイいってる間も加入しつづけたいけどどーしたらええの?っていうのが発端です。コールセンターに電話したら丁寧にわかりやすく教えてくれました\( 'ω')/国内で有効なクレカなり引き落とし口座があったらおっけーだとの回答。プラス。「納税義務は日本からマラウイに変わりますか?変わるなら届出がいります。実特法の関係です」でた実特法!わからんから書面で送ってもらうことにしました。

 

送られてきた説明書類は、

「実特法」および「FATCA」に関するお客様へのお願い

あーね。FATCAね。アメリカは関係ないから今回は実特法ね。

 

まず、実特法とは。

各国居住者による海外の金融機関等を利用した脱税行為や租税回避行為を防止するために、日本を含むOECD加盟国では、非居住者の金融取引情報等を各国の税務当局間で交換するための国際ルールとして、「共通報告基準(CRS:Common Reporting Standard)」を策定しました。

日本もこれを遵守するため、実特法の改正によって国内法制化し、国内の金融機関に対して2017年1月1日以降、非居住者が日本の金融機関に保有する金融資産およびその取引情報等を収集し、国税庁に対して定期的に報告することを義務付けています。

これに従い、当社では、お客様が、対象となるお取引を行う際やお客様の納税義務等に関する状況が変化した場合等に、「届出書」のご提出をお願いしております。(Aflac資料)

わかりやすい、、!担当の人はほんまに勉強しまくって誰にでもわかるように噛み砕いてくれて、すごいなー( ;  ; )

 

そんな法律が2017年から施行されているので、「税法上の居住地国」が変更となった場合は、手続きがいるんですね〜

 

自分がそれに該当するか?

マラウイに稼ぎにいってる訳じゃないけどどうなんやろ?

 

今度はJICAに問い合わせてみました。

 

答えは、納税義務国は移転しなーい!

 

いろいろ前後しますが、青年海外協力隊で派遣されると、むこうでは生活費(月3万くらい)、日本国内では国内積立金(月4万くらい?)ってのが支給されます。あと帰国するタイミングで帰国手当(40万くらい?)を日本でもらえます。

 

その3万円について納税義務発生するんかなーと懸念してたんですが、

①公用旅券で行くと国際約束によって当地で納税義務発生しない!

②給与じゃなくて手当なので対象にならない!

 

①はなるほどーとなりました。「国際約束」とぐぐってみてもあんまりこれといったものがヒットしないんですが、外務省サイトとか有斐閣国際法雑誌がでてきます。国際法、条約、のようなもろもろの国同士のきめごと、と理解しとこう。

 

②なにかにつけて『手当であって給与ではない!』と強調されてて普段は「へー金もらえるならなんでもええわ感謝!」くらいのテンションなんですが、こんな感じで法律が絡んでくるとその性質は重要ですね。

 

ちなみに国内で受け取る月4万円と40万円の方も、日本の住民票をぬいて「非居住者」になるので非課税です。帰国手当は1年11ヶ月目の国内積立金と合算してもらえるみたいですが、任期短縮などのイレギュラーがない限り非居住者の身分のまま受け取ることになるので非課税です。

 

 日本でもマラウイでも納税義務がない、、なんかタックスヘイブン状態っぽくてびびりますが、そういうもんらしいです。(いや、しいて言えば日本なのか..?)

日本の非居住者になるってことはNISAの非課税の恩恵にもあずかれないし、マイナンバーも返納?みたいになるんかもやし、でも年末調整とかはJICAにしてもらうっぽいし、難しい。死ぬ(*´ω`*)

 

ここでつらつら書いたことは、私の理解が誤っているかも、個別具体的な話であって一般論ではないかも、なので信憑性ははてなです。ってのを最後に加えて終わりにしまーす。

IELTSの試験結果がくそぼろだったので克明に記録しておく。

f:id:locayrica:20170331201222j:image

IELTSという25,000円くらいする英語のテストがあります。価格が一番強烈な印象を残しているので、私に一言で説明させるとこうなります。

 

要は、TOEFLみたいな感じで海外の大学や大学院に出願するときに必要なスコアです。ちなみにTOEFLも今の為替レートでいけば25,000円くらいです。この学校のこのコースなら最低何点、という基準があります。将来的に留学したいな..!という展望があるので日本にいるうちにと思って受けてみました。

 

25,000円を無駄にしない!と当初は意気込んでいたものの、「合否じゃなくてスコアでるだけやし!(鼻ほじ)」「ポテンシャルはかったろ!」とポジティブにだらけ始めるのにそう時間はかかりませんでした。

 

はい。もう言い訳たらたらなんですが、結果は、

Listening 6.0

Reading 6.5

Writing 6.0

Speaking 5.5

Overall 6.0

 

9.0が満点。大学院留学しようとすれば超ざっくり7.0は必要。6.0はTOEIC740〜820、英検準一級くらいに換算できるらしいです。TOEICは935、英検準1級もってる(1級は箸にも棒にもかからず撃沈)ので、まー妥当なんかな!でも情けない!自分のばかやろう!!

 

英語しばらくさわってなかったし問題形式も傾向も知らずに受けたので、これ以上は下がることないと思います。ポテンシャルをはかるという目論見通りです(ゴゴゴゴ)。こっからどう8.0くらいにもってくかってことが大事ー\( 'ω')/

 

※そういやDMM英会話は講師がスカイプ越しにゲームしたりチャットしたりで授業に集中してないという論外のことがめっちゃ多かったので早々にやめました(笑)

 

しかも8.0とか取ったとしてもあくまで出願に必要なスコアってだけで、そっから英語で講義聞いて論文書いてってなると当然さらに高度な英語が必要になる。こんなんでksみたいなスコアだしてる自分やっばい。クライシス。

 

〈対策〉

Home - allAfrica.comの記事を読んでまとめて意見書く

天下の東京外大の人が教えてくれた方法♡基本的やけど、昔天声人語や社説で同じことをしてたのを考えると、地道な努力がきっと語学力向上につながる!

 

マラウイで英語漬けになる

 

あんまつらつら挙げても実行せんと意味ないから実質①だけ!4月からは2ヶ月半の語学訓練が始まるので、それもがんばる(^O^)

 

こないだ京大に編入したがってた友達がTOEFL3回受けて、みるみる目標スコアに到達して編入試験も合格!ってのを目の当たりにしました。やっぱ努力する人はかっこいい。私もせめて自分が恥ずかしくないくらいには頑張って生きようと思いましたᕦ(ò_óˇ)ᕤふぁいっ

Book Review『縮充する日本』

 

 

好き度: ★★★☆☆

 

これも平田オリザさん『下り坂をそろそろと下る』を勧めてくれたのと同じ教授に勧められ、ジャンルも同じです。

 

新書やのに分厚くて高い(◞‸◟)

 

まちづくり、政治・行政、マーケティング、芸術、福祉、教育など、いろんな分野で参加型になってる/なってくよねという話。

 

以下ひたすらメモ。

 

二十一世紀の参加の潮流には滅私奉公的な匂いがしない。興味のある分野を自ら選択し、主体的に参加する人たちが増えている。有り体に言えば、「楽しい」から参加しているのである。(P.35)

こりゃ栃木のアジア学院で感じたことそのまま!

 

住民の参加がなく、人口増加と経済成長を前提に整備されたまちは、縮充すべき時代を迎えたときに住民が途方に暮れる事態を招く。「このままではいけない」と、誰もが肌で感じていながら、「自分たちの知恵と力でなんとかしよう」という発想にはなかなか行き着かない。そうなると、住民は役所に依存し、役所は国に依存するという構図から抜け出すことができなくなる。(P.90)

確かに公との関係でいくと、住民市民県民国民がお客さんな感じあるよなー。すぐ行政ディスるけど自分は何も動かん的な。

 

ゼロを一にするのは、しくみのないところで新たな活動を始めるNPOの仕事。一を一〇にするのは理論武装をして一般化する学者の仕事。それを事業にして収益を上げる五〇までは企業でもやれる。収益につながらない部分も含めてすべてに適用できる一〇〇にするのが行政の仕事。(P.93)

厚生労働省事務次官村木厚子さんの言葉らしい。かっこいー!

 

 

都市化の中で「個」の時代が進み、農村のしがらみから解き放たれる=生活者から消費者へ。当事者から傍観者へ。

お気に入りのブランドを持ち、ぜいたくなものを食べ、自分では豊かな生活を手に入れたつもりでも、そこに対して誰からの反応もなけれは、自由も豊かさも自己満足でしかなくなる。(P.204)

 

1995年は阪神淡路大震災が起きてボランティア元年と言われます。

「お金で課題を解決してきた人なら、義援金や物資を送ればいいと考えるだろう。そうではなく、被災地に入って自ら体を動かし、汗を流してボランティア活動に協力した人たちの心が欲していたのは、被災者からの「ありがとう」という反応ではなかっただろうか。」

 

2004〜ミクシィ、2008〜Facebook。いいねは参加機会欠乏症の妙薬。

 

マーケティング業界では、AIDMAに代わるインターネット時代の法則として1995年に「AISAS」が提唱されていた。Attention→Interest→Search(検索)→Action→Share(共有)→Attention...と循環する購買行動の特徴は、「検索」と「共有」という段階を経ていることだ。(p.229)

価格ドットコムや@コスメなどのサイトで検索、ツイッターで拡散、みたいな。

 

まとめられない。理解が深まってない。少なくとも「レビュー」ではないな。むー。

Book Review『怖い絵』

 

怖い絵<怖い絵> (角川文庫)

怖い絵<怖い絵> (角川文庫)

 

 好き度: ★★★☆☆

 

ジャケ買いしかけましたが親が楽天koboで購入していたのでipadを拝借し、初めて電子書籍を完読しました。ーーやっぱり電子書籍苦手!(※この絵は電子書籍版には載せられません、ってやつがあったのには参った)

 

中野京子さんは最近本屋さんでもよく目にします。調べてみたら早稲田卒の早稲田の先生(専門はドイツ文学)だったので、どんな授業かなーとシラバス検索してみる→ひっかからず。なぜ?(°▽°) でも授業受けられる人はうらやましいなーと思える内容でした!

 

あつかっている作品は22。

1 ラ・トゥール『いかさま師』

2 ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』

3 ティントレット『受胎告知』

4 ダヴィッド『マリー•アントワネット最後の肖像』

5 ブロンツィーノ『愛の寓意』

6 ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』

7 クノップフ『見捨てられた街』

8 ボッティチェリ『ナスタジオ•デリ•オネスティの物語』

9 ホガース『グラハム家の子どもたち』

10 ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』

11 ベーコン『ベラスケス〈教皇インノケンティウス十生像〉による習作』

12 アルテミジア•ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』

13 ムンク『思春期』

14 ライト•オブ•ダービー『空気ポンプの実験』

15 ホルバイン『ヘンリー八世像』

16 ジョルジョーネ『老婆の肖像』

17 ルドン『キュクロプス

18 コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』

19 レーピン『イワン雷帝とその息子』

20 ゴッホ『自画像』

21 ジェリコーメデューズ号の筏

22 グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』

 

知らん絵ばっかり、いい!これらを全部「実は怖い」という切り口で解説してくれます。高階秀爾さんの『名画を見る眼』ラバーとしてはこういう本は好きだーー

  

少しメモ。

●『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』アルテミジア•ジェンティレスキ(女性)
画家本人の署名があるにも関わらず、こんな雄大な絵を女が描けるはずがないとの偏見によって彼女の父親作or父親との共同作品と間違えられていたというエピソード。現代では、少なくとも私は絵をみて「うまいなーー」と思ったとしても画家が女性である可能性を排除する発想はないので、おもしろい。

女流•••女性のなかま。女性。(多くは芸術家•技術家などを表す語に添えて用いる) ( 広辞苑より)

"女流"棋士とか"女流"作家、"女"医って呼ばれる分野ほどまだジェンダーフリーでない業界なんだろうな。

 

●『キュクロプス』ルドン

一つ目の怪物と横たわる女性がいる絵です。

愛が憎しみに変わるとき、たったひとつの偏った見方しかできない目は抑制を知らず、自分の破壊力がどれほど大きいかも忘れて暴走する。

 

愛において相手との距離を測れない者は確かにおぞましい。おぞましいがしかし、そのようにしか愛せない本人にとっては紛れもない悲劇である。尽きぬ憧れと絶望を抱えてガラテアを盗み視るこのポリュペモスが、恐怖を呼び起こすと同時に憐れを誘うのは、肉体には成熟していても頭が子どもなみに未熟であることが示されているからだし、彼の愛は真摯なのにその愛し方があまりに拙劣だということが伝わってくるからだ。

 

この本きっかけではないけど、奇遇にも数日前「怖い」という感情について考えていました。何が怖いという気持ちを呼び起こすのか?つきつめると源はなんなのか。可能性のある答えとして思い浮かんだものは以下です。

①未知/不知だから

法益を侵害されるから

①はずーっと思ってきたことで、例えばイスラム教についてよく知らない人がいるとします。その人の持つイスラム教のイメージはテレビで見るISのテロリストに大きく影響されて、「イスラム=テロ=恐怖」という図式になる場合なんかは、知らないことが恐怖の源なんじゃないかなと。

もっと単純なものでいくと、柳が幽霊に見えて怖いってやつです。でも太陽の下でそれがなにか「わかる」と恐怖はなくなります。

 

ただ、既知でありしかも予想の範囲内で終わるだろうことに恐怖としか言い表せない感情を抱いたことがあります。なんで?となって進んだのが②です。

 

法益とは刑法学の考え方ですが、個人的法益には例えば、身体、生命、財産、自由、名誉などがあります。これらが侵害される=不利益を被るのがいや=怖い なのでは?

 

例えば、どろぼうに入られるとお金が減るから怖い【財産】、ストーカーにあうと殺されるんじゃないかと思って怖い【生命】、など。

 

ここまでうんうんと考えたものの、友人に指摘されたのは、

吊り橋効果でわかるように、"怖さ"と"ときめき"さえ脳は誤認識してしまうんだから、源とかもっと曖昧なんじゃね?

この説にあそっかと納得してしまったので、思考終わり(笑)

 

最近時間はあるのに本読むペースが遅いので、しゃんとしようと思います。

Book Review『トリガール!』

 

トリガール!

トリガール!

 

好き度: ★★★☆☆

 

鳥人間コンテストに挑む若者たちの小説。内容はフィクションやけど、背景とか人物とかは実際のもの/ひとに基づいているところもあって、圭のモデルとなったご本人に勧められて読みました〜

 

プロットはみんなが共有してるthe青春物語なんだけども、ものづくり的な意味で勉強になった!

 

本とご本人によると、部員は60-70人とのことなのでまぁ70人とする。メインの登場人物3人はできあがった機体に乗り込んで漕ぐ/操縦する人。まったくものづくりを知らない私としては、あとの67人は設計士?と思ったけど、設計士は6人だけであとの61人は「作る人」らしい。その発想なかった。技師さんってことか。ちなみに操縦する人はエンジンに例えられて機体の一部って考えられるらしい。

 

自分にすとんと落ちる次元に引き寄せると、設計士が作曲家、技師が演奏家、的な?お互いいないと作品が成立しない補完的な関係で、お互いリスペストしあっている的な。違うところもいっぱいあって上手く言えてないけど、ものをつくるって設計して組み立てるんだっていう非常に当たり前の気づきがありました。

 

著者の中村航さんは芝浦工業大学の方なので鳥人間は身近だし、理論的なところもずいぶん実感があるんだろうなーと推測。結構描写が詳しくて「????」ってなるところが多かったです(笑)

 

小説って自分じゃない人の経験を擬似体験できるのが醍醐味ですよなーとしみじみ。

 

飛び立つ瞬間にね、ガタガタ鳴り響いていた車輪の振動が、ふっ、と消えるんだ。その瞬間、不可の種類が変わるんだ(P.48)

先輩パイロットの圭から後輩である主人公•ゆきなに対するセリフ。この感覚とか、実際に経験できるのはパイロットだけなんやけど、すごいわかる気がするし魅力的!いいなーと思ったこの表現は小説中に計3回出てきました(*゚▽゚*)

 

あと、きらめいて見えたセリフを列挙しときます。

でも、やりたいことなんて、最初はないんじゃないかな。そういうのって後からわかると思うの。きっかけなんて縁だし。楽しそうって思ったら、好奇心に乗っかってやってみるだけだよ。(P.86)

物語の序盤、工業大学に入学してやりたいことがまだ明確に見えないゆきなに、親友の和美。「やりたいことがない」という悩みを持つ方へ(笑)

 

プレッシャーや、不安や、突然の横風を恐れる気持ち。そういうものは全部、あの日『風林火山』に置いてきた。あるいは、自転車を漕ぎ続けることで、"自分への期待"や"勇気"や"覚悟"に塗り替えてきた。(P.210)

本番に向けて追い込んでいくゆきな。負の感情をどっかに「置いてくる」っていいな!

 

勇気を持って飛んでほしい。僕も勇気を出すから、君にも勇気を持ってほしいんだ。いいかい?勇気ってのは無謀とは違う。勇気は愛から生まれるんだ。(P.220)

ゆきなと一緒に飛ぶ坂場先輩へ、他の部員から。勇気と無謀は紙一重な部分もあるとわかっているけども、違う言葉として存在する以上、意味するところも完全には同じじゃないよねーという自分への激励(╹◡╹)

 

飛ぶことに対するわくわくって点では、『風立ちぬ』で零戦開発してた人とイメージが重なりました。みんながある種の美学を持っている点でも!

 

日本では9月にこの映画が土屋太鳳さん主演で公開になるそう。青春!みたいな部分ばかりフォーカスされるという危惧はありますが、私のお気に入りの表現たちが出てくれるといいなぁと思ってます。

 

終わり。

Book Review『下り坂をそろそろと下る』

 

 好き度:★★★★☆

 

ここ1年くらいで私の人生に何回も登場してき始めた平田オリザさんという方。ついに著作を読むに至りました。青年海外協力隊の顧問?の教授がおすすめしていた一冊。

 

日本はどうしていくべきだろうか?っていう話です。もう高度経済成長みたいな時代は来ない、ゆっくり下り坂に入ることはわかっているけど、その"寂しさ"に耐えられないが故に変な方向に頑張ってしまっている、、これまでとは違った頑張り方が必要だよね、という話。

 

地方創生のケーススタディのごとく、実際の地方のいい感じの事例が紹介されています。うち二つは香川県小豆島善通寺四国学院大学のお話です!

 

東京一極集中じゃ日本がもたないし地方創生だーと叫ばれてる世の中です。が、個人的には自分の田舎、地方に対しては煮え切らない思いがあります。好きだし嫌いだし、住みたいけど住みたくないし、離れたいけど離れたくない。この本を読んだら、そんな微妙な気持ちをめちゃしっくりくる方法で咀嚼できたような気がします。

 

まず、都会の圧倒的強みというのがこれ↓

文化資本、とりわけセンスや立ち居振る舞いなどの身体的文化資本は、おおよそ二〇歳くらいまでに決定されると言われている。…この身体的文化資本を育てていくには、本物に多く触れさせる以外に方法はないと考えられている。…そうだとしたら、現在の日本においては、東京の子どもたちは圧倒的に有利ではないか。東京、首都圏の子どもたちは、本物の(世界水準の)芸術・文化に触れる機会が圧倒的に多い。(P.108)

 これな!!!一時は、どんな都会の名門校に入って有名予備校に通おうが、地方の進学校からかりかり勉強しようが、結局たどりつく大学が同じだったら同じやんと思っていましたが、たぶん違う。学力(知識量)は同じかもしれないけども、文化の経験値に差が出てきます。海外の有名なオペラや絵画とかが日本に引っ越し公演、巡回してきても、東京・大阪などだけ回って終了なことがほとんどです。これはほんまに都会がうらやましいところ( ;∀;)

また、東京では小学校の遠足で国会見学したり皇居見学したりと、彼らにとっては特別なことでなくても、地方からすると「ああやっぱ違うなー」となるのです。

 

田舎に文化がないわけじゃないし、代わりに自然があるというのはある程度そうなんですけど、また別問題。

 

さてこの身体的文化資本が欠如すると何が問題なのか?国からの交付金はかえって地方を保護政策依存にさせてしまうーという文脈で、

地域の自立再生には、そのような一方的な保護政策に打ち勝つための「文化の自己決定能力」がどうしても必要だ。ではその能力(センス)はどのようにして育つのだろう。それは畢竟、小さな頃から、本物の文化芸術に触れていくことからしか育たないと私は思う。(P.159)

他のところで「文化の自己決定能力」は「付加価値を生み出す力」と言い換えられています。身体的文化資本がないと、その土地ならではの付加価値を生み出すことができず、本当の意味での地方創生ができないというわけです。

 

 

日本がアジア唯一の大国である時代は終わりました。中国、韓国はぐーんと伸びています。

ゆっくりと衰退していく自国の姿を受け入れることは、寂しいことである。しかし、私たちは、その寂しさに耐えなければならない。(P.191)

自虐史観だのと言われてもやはり愛国心みたいなものはあるわけで、自分の国が成長していくという昔の上向きの空気が懐かしくて懐古厨みたいになってるってことですかね。

 

 そんなぐずぐずな世相では、猛烈なリーダーシップを持ったトップをもってくることで停滞感を打破しようとしがちですが、方向転換が必要なんです。

これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければならない。そのときに必要なのは、人をぐいぐいとひっぱっていくリーダーシップだけではなく、「けが人はいないか」「逃げ遅れたものはいないか」あるいは「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。(P.150)

これ、「支配型リーダー」ではなく「サーバントリーダー」たれっていうアジア学院で習ったことです!上意下達の支配型リーダーにも欠点はあるので、自ら動いてみんなを巻き込んでいく、ある意味ではみんなに仕えると言えるサーバントタイプのリーダーがいまどき!みたいな話。

 

競争と排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会へ。(P.236)

そしたら自殺とか過労死とかなくなるかな。

 

コミュニティ論みたいなのは初めてでしたが、これからいっぱい読んでいこうと思いますー

 

Book Review『風に舞いあがるビニールシート』

 

風に舞いあがるビニールシート

風に舞いあがるビニールシート

 

 好き度:★★★★☆

 

協力隊の同期に勧められた本。

森絵都さんの作品は『屋久島ジュウソウ』という旅エッセイしか読んだことがなく、なんとなくぼやっとしているなーという印象だったのですが、これを読んでみると日常を描くのがうまい人なのかなというプラスの印象に変わりました。なんとて、これ直木賞を受賞しているらしいです。なるほど。

 

この本には6つの短編集が入っていて、内容はそれぞれ独立しています。6つに通底するものをみいだす、、みたいな読み方はもちろんできると思います。森さんが早稲田の二文の方で、文キャンの学食、学読だろう舞台もでできてにやにや。

 

 お気に入りのふたつについて記録。

 

<犬の散歩>

 保健所の犬に飼い主をみつくろうボランティアをしている主人公、恵利子。彼女がもやもや考えていることに毎回同意!同意!ってなって全文メモしてしまう勢いでした。

 

飼い主探しのビラ配りに対して示す反応は様々。

これは人間の優劣の問題でも善悪の問題でもなく、ただたんに、興味のベクトルの問題なのだ。恵利子が相撲にまったく興味を持てないように、ゾウリムシの生態に思いをめぐらせたことがないように、自分たちが肥満したのはマクドナルドのせいだと訴訟を起こす人々の気が知れないように、見る人が見れば恵利子のしていることなど「だからなに?」程度の事でしかない。(P.66)

 

「世界には食うに困って飢え死にしていく人間だっているのに、犬助けとは、まったく優雅なもんだ」(P.68)

これな。海外ボランティアに行って熱心に活動している人もいれば、興味はないけどすごいなーと眺めている人、逆に嫌悪感を持っている人。どれがいいとかなくて、興味のベクトルの違いだよねとある意味切り捨ててしまうのは、冷たいのでしょうか、、、?

 

「なんでそんなん行こうと思ったの?!」と劇的なストーリーを求められる(ように思える)場合も多いです。でも正直自分としては自然に、、、としか言えない(笑)誰しも納得できるような分かりやすいきっかけとかないです。

一言でいえばなりゆきかな、と多少、肩の力が抜けてきた昨今の恵利子は思っている。

長く閉ざしていた瞼を開いたとき、恵利子の前に現れたのは寝たきりの老人でも虐待に苦しむ子供でも遠い国の難民でもなく、人間に捨てられ人間に捕らえられた無数の犬たちだった。(P.72)

 

かといって、なりゆきでまったく意思がないわけではなく、責任感とか罪悪感とかノブレスオブリージュ的な意識はあります。

 目をそむけてさえいれば、恵利子の毎日はそこそこ平穏に、波風もなくゆるゆると通りすぎていった。… 本当にこれでいいのかと、こうして死ぬまでゆるゆると年だけを重ねていくのだろうかと、形にならない疑問がうごめいてもいた。(P.78)

 

また、レストランのランチタイム。30代の女性主婦2人が、イラクで拉致され解放された日本人について話しているのが聞こえてくる場面。売名行為だ、自己責任だ、身代金が税金から支払われるのは迷惑、という声。

税金を納めている自分には無分別な日本の若者を裁く権利がある、とでもいうように、内心はその志や行動力が妬ましくもある彼らのことをふんぞり返ってながめていた。(P.79)

自分が払った税金の使い道について考えを持つのは正しいですが、「裁く権利がある」というとまでの認識になる(たぶん無意識)と行きすぎかもなぁと。

 

ボランティアという言葉を聞くと、善行のふりをしてじつは儲けているんじゃないの、という顔をする人が意外と多い。どんな事象もつぶさに調べればその襞に利害がひそんでいる、と信じて疑わない人たちが。(P.83)

 これも深刻な問題だよなー。駅で震災の犬猫のお世話の募金したよーって話を友達にしたら、「それ全部詐欺だよ」と言われてショックだったのを思い出します。それがどの程度信憑性のある噂なのか、そもそもそこらで見るボランティア団体に対する募金はちゃんとしたものなのか、調べるすべがないから困ります。現金って足がつかないし。これが例えばブロックチェーンの技術で解決できるなら、めっちゃいいかも!?

 

ブロックチェーンは以下↓

locayrica.hatenablog.com

 

自分にあてはめられるセリフ満載なエピソードでした。

 

<風に舞い上がるビニールシート>

本のタイトルとなってもいるこの話が本のトリを飾ります!迫力。名作。

 

UNHCRに勤める男女ふたり。フィールドすなわち難民が発生するような危険地域に身を置くことにこだわる男性・エドと、彼の仕事に理解は示しつつも一般的な温かい家庭も築きたいバリキャリ・理佳。

 

国際協力ってほんまにある面では偽善で息苦しくて泥臭くて暗い仕事なんだろうなーと感じ始めています。栃木でいろんな活動をしている人が「気持ちいい程度に人を助けるって楽なんですよね。それが悪いとは言わないし、それをする人がいてくれて本当にありがたい。でも、だれかは嫌な部分も全部正面からみて挑まないとだめ」って言ってました。説得力ありすぎ。自分はそこまでどっぷりつかる根性あるだろうか。そうありたいな。

 

 世間から見ると、世界を股にかける高給取り国際公務員アメリカ人と結婚し、白金台のマンションに住む彼女は羨望の目でみられます。夫が年中紛争地域にいて連絡も取れない、難民の命より夫の命を案じてしまう心もち、そんな辛い実情を説明してもわかってもらえません。

彼らはエドの深刻な任務など知りたいわけではないのだ。かつての自分がそうであったように、ただ景気の良い話をして盛りあがりたいだけなのだ。難解で重苦しい事実は見て見ぬふりをされる、それもこの世界の機能の1部ではないか。(P.284)

 

決定的に二人を引き裂いたのは、子どもを持つか否かの話です。エドの言い分は、

風に舞いあがるビニールシートがあとを絶たないんだ。…人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに簡単に舞いあがり、もみくしゃになって飛ばされていく…暴力的な風が吹いたとき、真っ先に飛ばさるのは弱い立場の人たちだ。老人や女性や子供、それに生まれて間もない赤ん坊たちだ。誰かが手をさしのべて助けなければならない。どれだけ手があっても足りないほどなんだ。だから僕は思うんだよ、自分の子供を育てる時間や労力があるのなら、すでに生まれた彼らのためにそれを捧げるべきだって。それが、富める者ばかりがますます富んでいくこの世界のシステムに加担してる僕らの責任だって」(P.290)

 うあぁぁぁ加担、、、責任、、、贖罪、、、

 

理佳

「私たち夫婦のささやかな幸せだって、吹けば飛ぶようなものなんじゃないの?あなたがフィールドにいるあいだ、私はひとりでそれに必死でしがみついているのよ。あなたはなにをしてくれたの?」

 

エド

「仮に飛ばされたって日本にいるかぎり、君は必ず安全などこかに着地できるよ。どんな風も君の命までは奪わない。生まれ育った家を焼かれて帰る場所を失うことも、目の前で家族を殺されることもない。好きなものを腹いっぱい食べて、温かいベッドで眠ることができる。それを、フィールドでは幸せと呼ぶんだ」

日本は日本で課題山積なのはそうだけども、もっとやばい次元で苦しんでる人がいるんだよなーーーーーこれも上で出てきた「興味のベクトル」で説明できてしまうのかも。

 

まぁそんな感じでエドと理佳はあれやこれやなってしまいます。エドはアフガンであれやこれやなってしまい、複雑な過去をかかえた彼にとってはあれやこれやなあれこれになります。とりあえず涙。それを受けて理佳はあれやこれやなってとりあえず涙。

 

エドの身の捧げ方はすんごいなぁと 、ボキャ貧も甚だしいけど、すんごいなぁと思います。

 

ネタばれにならないように説明試みるとやばい感じになりましたが、さすがは直木賞受賞作です。ぜひご一読ください。