海外飛び出すことになったブログ

やっと海外に住みはじめました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

青年海外協力隊は100:100の婚活パーティーの側面も持ち合わせていると思う。

おそろしい。

青年海外協力隊は外務省系の国際協力機構の一事業だ。

この事業の目的は、

(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(2)異文化社会における相互理解の深化と共生
(3)ボランティア経験の社会還元

とされている。ここテストに出ます。(ほんまに講座テストで頻出)

 

しかし、実は厚生労働省の息もかかってるんじゃないかと思うくらい、参加者同士のカップル成立率が高い。

少子化社会に歯止めをかけるということも国に意図されているのではないか。。

 

そんな陰謀論を勘ぐってしまうほど。

 

Be happy!

保険の説明義務って誰得なのーとしみじみ

保険の集団加入の説明会にて思ったこと。

 

保険に加入するとき、販売する人にはいろんな説明義務があります。

 

申し込む人は、細かい字で書かれた資料に目をざぁぁぁっと通し聞きなれない言い回しの説明をざぁぁぁって流しこまれて、「説明をうけました」にチェックしたりします/説明義務が果たされたこととなります。...でも、平常時でもなかなか理解しがたいのに脳みそが働いてないときやと尚更いみふめい!!。100説明してくれて、2くらいしかキャッチできない。「なにか疑問点はありますか?」と聞かれても何がわかってないのかすら分からずぽかーん(°▽°)

 

それでも、顧客保護のための法律で説明義務が定められてるから、販売する人は説明を省略したり変に要約したりするとアウト。法律的に正しく解釈されるような言い回しを使って説明してくれます。申し込む人がぽかーんʕʘ‿ʘʔとなってるのもうすうす気づいているはず(笑)しかもそんな時は販売員さんも心苦しいはず(笑)

 

これって「これ説明受けてない!こんなはずじゃなかった」とならんように顧客保護するための規定やのに、法律を守るための法律みたいになっている?

超単純な事例問題形式で10説明をくれて7理解できた方が、結果申し込む側としてはいいんじゃないかなーとか思ったり。

 

まぁ、そういう難しい文書もすらすらと理解できる頭があれば最強やなと妄想した話でした。

 

 

集団生活についてぼそっと悪態をつく回

70日弱の訓練所生活を通して1番ビビッドに実感したのが、まじで集団行動が苦手!想像以上だった!笑

 

よしあしは置いといて(ほぼ悪しで辛いので;;)、自分の特性、感じ方の変化、適応の段階をつぶさにじりじりと観察できたのはある意味人体実験みたいで、今後も参考にできるんじゃないかなーと思った。エピソードとともに記録しておく。

 

〈私の特性5つ マイナス方面〉

 

1. 混雑が苦手。

朝(7:10-8:00)昼(11:40-12:30)晩(18:00-18:50)、一箇所の食堂でみんな同じメニューをいただく。食堂オープンの時間は行列ができて時間がかかるので、そこを避けて生活してた。朝食後〜1限開始まで45分(8:00-8:45)あって、当初はこのタイミングで新聞を読んでいたけど、だんだん人が増えて読みたい新聞社のやつを読めなくなったのでリズムを変更。昼ごはんのあとは閑散としてることが多く、ゆるりと楽しむようにした。

 

 

2. 自分の時間を遮られると不機嫌になる。

新聞を読めるスペースは廊下の一部分。各自の部屋から教室に向かう道中に位置するので、構造上ほぼ全員がここをとおる。人が通るたび新聞から目をあげて挨拶しないといけない。(厳密にいえば義務ではないんやけども(..))  かつ場合によっては「なに読んでるのー?」とかいう話に発展する。それは嬉しかったりもするんだが、「すごいね」と言われるのは謎。すごい、、?なぜ、、、?

また、食事を摂るのが義務!人数分きっかり準備してくれているので、食べない人がいると廃棄が出てしまう。まっとうなルールだ。でも、食べるより寝たいとき、食べるより勉強したいときもあるでしょう。選択性にしてくれよ〜ってときが何度かあった。健康な生活を強いられてるという感覚に陥ってしまった。そして肉体的に健康な生活を強いられるほどに精神的な健康が損なわれていく感覚も覚えた。適度に不健康な生活の方が今の私には心地よいんだなぁ)^o^( 心がまいっていたことも一因かも。新しい環境に慣れることに必死で余裕がなかった訓練序盤の記憶。

 

 

3. 無音、孤独の時間が必要。
宿泊棟の各自の部屋は、うっっっすい壁と扉で囲われた体感4畳の空間。新しい人にあって、いろんな話をきくのは大好きやけど、吸収したものはひきこもって消化の時間をとりたいタイプの人間だと改めて自覚!廊下の音の透過率100%を誇るあの薄い扉。しんどくて部屋で休みたいってときも、他の人のはしゃぐ声、足音、全部が耳に入ってきて悲しくなってた。これも訓練序盤の記憶。

あと、飲み会に対するスタンス。端的に言ってしまえば、飲み会をストレス発散の場としてとらえる人と、新たなタスク(負担)としてとらえる2種類の人種がいると思う。タイミング、メンバー、お店、予算とかいろんな要素が絡むので固定的なわけじゃないけど、自分は後者の場合が多いタイプの人間やな。このタイプに『勉強のしすぎ、頑張りすぎだよ!たまには息抜きも必要だよ、飲み会いこうよ!』と誘うのは真逆の効果を生むんやなと。まさに北風と太陽。

 

4. 予定を入れるのが苦手。

スケジュールの書き込み=窒息のイメージ( ; ; )これはまじで改善しないといけないなと思っている。。フレキシブルに生きたい、悪く言えば行き当たりばったり。断りやすいところから約束を反故にするみたいな事態が頻発しないように気をつけよう。

 

5. 70%くらいは機嫌がわるい日。

「今日は調子いいわ!」と思えるのは30%くらいだった。それはたっぷり寝た翌朝、化粧と髪型と服装がしっくりきた朝、課題をちゃんと準備できてた日。数値を上げるには、適度な運動、腹8分目、質のいい睡眠、という基本的な人間らしい生活がキーだとしみじみ。また自分の機嫌に関わらず、人からもらう「疲れてるね」「くまひどいね」「すっぴんやん」「太ったね」等の言葉は確実に腹わたを煮え繰り返らせ、負のスパイラルを生み出す。自分の中ではこれらは「ブス死ね」に自動変換されてしまうようだw 内心、「で?」「すっぴんでおることにケチをつけられる覚えはないし、そのことをディスる資格ないやろ」「なんでいつも明るくかわいく存在せないかんのやks」などと狭量の極みつっこみをしていることをここに自白したい。
 

 ただ、機嫌悪いときもあいさつはにこやかにできるようになってた!というか、自然に笑顔がでてしまう!これは体得した営業スマイルなのか挨拶という儀式の効用なのか八方美人マインドのなせる技なのか、不明。若かりし頃は「怒らない技術」という新書を読みふけるほど、周囲に当たり散らしてしまうbad-temper人間だったが、それは卒業できた!I can behave myself now!依然として内心は嵐だから性格はよいとは言い難いけど、年食った分大人になってたことを発見。

 

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極めて小さなコミュニティーだと、周りの人間のささいなことに関心を持つ傾向にあるし持つべきだし持たざるをえない。日々のsmall talkがそれ中心やからね。e.g. だれだれが髪を切った、デートしてた、等。興味ないって切り捨てたいことばかり!笑 そしてその関心の客体になるのはしんどくて窮屈でしゃーない。e.g.私がなんの本を読もうが、どんな理由で髪を切ろうが関係なくない...?と思ってしまう。200人の人間が70日間隔離された場所で毎日顔を突き合わせるという特異環境。

所変わって私の地元は人口40万人。それでも20年以上住むと知り合いの飽和状態で、電車で洋書を読むだけで「読んでるね!すごい!」、日経を読むだけで「読んでるね!」、モールに行けば「誰々といたね」と指摘されみんなが把握しているそんな日々。どこに行っても友人、同僚、上司、お客さん、家族にすらに出くわしてうんざりするにも程がある!ってなり物理的に脱出したいと思って途上国行きを決めたものの、ここではさらに小さなコミュニティーに所属することになってしまった。因果なものよのう!

むしろ東京みたいに人の大海原が存在するのに一人として顔見知りがいない環境の方が特殊なんだろうか。世界に誇るメトロポリスやしな。

 

 

でも、最後に忘れてはいけないのが、自分もそのコミュニティーを構成する一員だということ。

他人を自分と切り離して非難するのはめっちゃ簡単やけど、同じ穴の狢という意識を持ってる人は少ないように思う。そう思ったのは訓練所外の話も含むけど、自分がこの人何かちゃんと考えてるのかなーと思っていた人が「あの人って何も考えてないよね。」と他人をディスっていたのを聞いたとき。またとある人が「ここのレベルは低い」などとディスっていたとき。批判は生産的なものだけにとどめたいなぁ。

 

ここでは発見したことの矢印が自己に向いているけど、自分から集団、他者への働きかけももちろんあったはず。嫌な思いをたくさんさせただろうし、たまには誰かの救いや癒しになれてるかもしれない。コミュニティーっておもしろい。

 

こんな生活もあと5日。

Book Review『アミ 小さな宇宙人』

 

アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

 

 好き度:★★☆☆☆

 

自分のとっておきの本を紹介しあう会にて、友達が一推ししてた本。これをきっかけに国際協力に興味を持ったとのこと。子どもむけの本なので、貸してもらって一瞬で読めました。

 

著者のエンリケバリオスさんはチリの作家。wilkipediaをみると、ふむ。

原題は AMI, EL NIÑO DE LAS ESTRELLAS です。estrellaはスぺ語で「星」ですね。

 

この本は、主人公の少年ペドゥリートが宇宙人・アミといっしょに体験した不思議なことを「おとぎ話だよ。大人が批判するだろうからね」っていう体裁で語ったものです。アミはいろいろ達観してて、平凡な地球の少年ペドゥリートは彼の考えに感銘を受けて視野が広がる⇒読者も「おおお~」ってなることが想定されてるんだと思います。

 

借りといてこんなこと言うのもあれなんですが、ここまで一文一文にひっかかってしまうのは珍しいってぐらいひっかかりました(笑)その要因は自分の一時的な心理状態にあるのか、信念が強固になってしまったのか、、あとから客観的に自分をみるためにも、つっこみをいれていきます。

 

(アミ)「まだ現実に起きていない先のことをあれこれ気に病むのでなく、いま起きていることにあたることのほうが賢明なことだよ」p.46

グラナダで出会ったアルゼンチン人と同じこと言ってる。どんな仕事してるのって話の文脈で、将来にそなえたって今が楽しくないと始まらないよ!!的なことを言われました。ラテンや、、!と強く思ったのを思い出しました。

 

ペドゥリートが神様のかたちってどんなのー?って疑問に思ってる場面にて。

アミ「神は人間のかたちをしていない」「かたちはなく、きみやぼくのような人間ではない。無限の存在であり、純粋な創造のエネルギー、かぎりなく純粋な愛だ•••」p.57

the信仰心の薄い日本人としては、「神こそが創造主!愛!」に違和感がぬぐえない;; しかもお父さんが牧師さんの友達いわく、神は自分に似せて人間を創ったと聖書に書いてあるらしいので、かたちがないって矛盾?

 

アミ「きみは文明人じゃないよ」p.64 

アミによると、地球は未開の惑星で、そこに住む人間は絶えず戦争をしたり自殺をしたりと野蛮だと。あながち間違ってないんだけども、途上国にいくにあたって異文化理解、文化人類学あたりに向きあってる身としては、それって人間が<文明ー非文明・未開>の図式を<先進国ー途上国><帝国主義国家ー植民地>にあてはめてきたのを、ひとつ次元をずらして<宇宙ー地球>に適用しただけやん!と。真の異文化理解の助けになる考え方ではないんじゃないかと思うわけです。人間の悪行を戒めるのは、地球外のより高度な文明を持つ存在ではなく、自然とかやと思う。←神道の影響もろに受けている自覚!

 

キリスト教は未開人たちを啓蒙(enlightenment)してきました。そのベースがどうしても強く感じられて、うーんという気持ちになりました。

 

 

ただ唯一神だけが崇拝されるべきなんだ。p.110

 

ここにはほかの生きものを害するようなきけんな動物は、いっさいいないんだよ。猛獣とか、サメ、毒ヘビといった愛から遠くかけはなれた動物は、それらにふさわしいところにいる••• p.187

とまぁ極端に思える記述がたくさんありました。

 

自分と違うものに遭遇したとき、良し悪しの価値判断は抜きにして、まずは違いを把握するっていうのがポイントって習っています!

Book Review『怒れ!憤れ!』

 

怒れ! 憤れ!

怒れ! 憤れ!

 

 好き度: ★★★☆☆

 

本というか、もともとはパンフレットらしいです。分量としてはめっちゃ少ない。10分で読める。アツいから!!という理由で友人が貸してくれました^^ フランス語では「INDIGNEZ-VOUS!」という題名。

著者はレジスタンスにも参加し、その後は世界人権宣言起草に関わったり外交官したりしたフランスのユダヤ人。

 

レジスタンスに参加した人なだけあって、ウルグアイホセ・ムヒカと同種の熱っぽさを感じられました。闘士!

locayrica.hatenablog.com

文字通りの「戦った」経験のある人・世代とない人・世代では大きく差があるんだよなぁ。ゆとり世代なりにアツく生きたい。

 

世界を危機的状況に陥れたのは、先進国による過剰な生産性追求ではないか。p.90

 これなんかまさにムヒカの言葉そのもの!

 

あと若者へのメッセージという意味では司馬遼太郎のこれと似てる。

locayrica.hatenablog.com

  

若者よ、探しなさい。そうすれば、きっと見つかる。いちばんよくないのは、無関心だ。「どうせ自分には何もできない。自分の手には負えない」という態度だ。p.46

サルトルアンガージュマンと同じメッセージだろうか。怒りを原動力に行動せよって呼びかけてる。

 

ステファン・エセルさんはサルトルの主張を明確に否定している部分もあって、例えばサルトルは、「暴力を終わらせる唯一の方法は暴力だ」と言った。しかし彼は「非暴力は、暴力を終わらせるもっと確実な方法である」とのこと。

 

この檄文を書いたのが93歳のとき。そして2013年に95歳で亡くなりました。死ぬまで命有効に使ってていい感じ。

貿易ゲームを通して協力隊の目的が少しクリアになった。

貿易ゲームって知ってますか?

 

「貿易」を中心に、世界経済の動きを擬似体験することによって、そこに存在するさまざまな問題について学び、その解決の道について考えることを目的としたシミュレーションゲームです。

(貿易ゲーム the trading game(トレーディングゲーム)― 経済のグロ-バル化を考える|教材|開発教育協会)

 

貿易ゲームの中身についてはネタバレ厳禁みたいな扱い方がされてたので、ふんわり気づきを書き留めておきたいと思います。

 

参加者は約100人、14の国家に別れました。私は途上国、最貧国ではないけどお金も資源も技術もない国の国民になりました。くじびきで。

 

時間は2時間。

 

これ、本当に面白いゲームで、先進国になっても途上国になっても、またいろいろ奔走しても静観しても、参加者によって十人十色の視点と気づきがあると思います。ゲーム終了後に他の人と意見交換することでそれをびしびし痛感しました。

 

ゲームの最中に思ってたのは、以下。

①持てるものと持たざる者で、勝ち組負け組もう固定やん。

 

②世界には情報が錯綜している。間違ってる、恣意的な嘘、古い、そもそも入ってこない。

 

③誰を、何を、信頼していいのかわからない。

 

④自分の国も悪に片足つっこんだり、信頼できない。

 

⑤にぎわいはいつも先進国に。人も物資も情報もお金も資源も集まる。

 

⑥先進国の人はみんな忙しそう。やるべき仕事が山ほどあって、バタバタしてる。私は途上国で、その中でも戦略的に積極的に動けなかった人間なのでのらりくらり。

 

⑦先進国の上から目線うざい。「困ってる国がたくさんあったのでいいことしてあげました」感がやばい。当然じゃない?

 

このくらいかな。

 

私は世界の全体像を把握してから、国のリーダー決めて方向性や戦略を立ててからみんなが機動的に動くべきって思ってたんですが、ぶわーっと散ってしまってそれは叶いませんでした。

自分でがつがつ交渉とかも始められなくて、先進国から恩恵をうける機会がありませんでした。ただ世界全体をみて、システムの不条理に悶々として、先進国むかつくなぁって思ってました。

 

でもゲーム後に他の人の話を聞いてみると。

 

最貧国の人

「先進国を信頼して全面的に頼ったらちょっとマシになったし、めちゃ感謝してる。」「◯国の人優しかった。好き」

これこそ協力隊が担うべき役割なんだろうなと思いました。普通にしていたら会うはずのない人たちと出会って、関係を築く。実際に顔をつき合わせて関係を深めていくと、見えないものが見えてくるし、新しいことが発生するんだと。

 

また、日本の看板背負ってるってそういう意味なんだろうなと。

 

あと、
先進国の人

「しんどかった。。」

↑贅沢な悩みやな!ふん!って思ったけど、ほんまに辛かった模様。でもたぶんこれは一生わかりあえない感覚なんだろう。

 

最近、国際協力とか偽善やん、とにかく働けばいいんだよ楽してんじゃねーよって意見をもらったこともあって、もやもやしてたんですが、スタートが違うと頑張る土壌づくりから始めないといけない。

 

先進国の人たちはほんまに奔走してて、すごい頑張ってた。それは傍から見てもわかった。自分はバリバリ働いてないから結果の平等だけ求めるのは理不尽ってこともわかる。でも、それを強硬に主張するのって強者の理論だよなって思った。よしあしは置いといて。

 

このゲームはかなりみんなの心に影響(禍根?)を与えたみたい。面白い。

Book Review『平和構築』

 

平和構築―アフガン、東ティモールの現場から (岩波新書)

平和構築―アフガン、東ティモールの現場から (岩波新書)

 

 好き度:★★★☆☆

 

平和構築という学問領域の本です。世界を平和にするという大目標にどうアプローチできるのかぼちぼち考えていますが、もうダイレクトに平和なるものを構築するのはどうかなーと思い手に取りました。

 

この本は2009年のものですが、最近だと南スーダン自衛隊国連平和維持活動(PKO)に参加してたとか、そのあたりがダイレクトにあてはまる分野です。本を読んだら言葉が少し身近になりました。

 

まず、平和構築ってなに?というところから。平和構築(Peacebuilding)の定義は「紛争後の地域において、国家の再建を通じ、紛争の再発を防ぎ、平和を定着化させる活動」です。紛争あってからの平和状態ってことなんだな。

 

平和に至るまでのステップは数段階あります。 

「和平調停活動(平和創生、Peace Making)」…まだ武力紛争が続いている間、その紛争をストップさせ、和平条約(Peace Accord)の調印を促し、その後の国家再建や平和構築につなげるために国連が行う交渉や調停。

「平和維持活動(UN Peace-Keeping Operations)」和平条約が調印された後、国連安全保障理事会の決議のもと、治安維持のために派遣される国連部隊の活動。

からの「平和構築活動」!

(ブロトス・ガリ国連事務総長のリポート「平和への課題」において)

 

それぞれの活動で、主体となるのが国連や軍です。今まで冷静に考えたことがなかったけど、平和のための軍事力ってユートピアにおいては不要なんだろうけど、人の世では欠かせないものなのかなぁと。戦争と武力は同じカテゴリーにいそうだけども、全然違うのかもしれない。

 

さて、この3つの関係について。

この三つは  相互に連携している。たとえば、和平調停を行う際には、戦闘が終結した後、PKO部隊の派遣を国連安保理に要請するのか、その後の国づくりをどう進めるのかなどを話し合い、和平条約の中に盛り込んでいく。つまり、和平調停を行う過程で、その後の平和構築をどう進めるかも、同時に話し合われていくのである。(P.29)

 

平和構築と似て非なる概念に「平和執行」があります。

平和構築活動 国連事務総長特別代表が指揮する「国連ミッション」と「国連PKO部隊」が主役を務めることが多い。つまり、指揮権は一元的に国連事務総長とその特別代表が握っている。一方で、「平和執行」については、国連安保理がその介入を「承認」するものの、実際の軍事活動は、多国籍軍に委ねられることが圧倒的である。(P.30)

 

活動の主体が重要になってくるのは、現地住民の受け止め方が全然違うからだというのが、筆者が体を張ってアフガン、東ティモールで行ってきたアンケート調査をソースに説明されます。

 

国連はけっこうな安心感、信頼を得ていて「中立な感じで自分の国に介入してくれてるんちゃん?」というイメージがあるそう。これこそ、国連じゃないとできない仕事だろうと思います。よく会社の看板背負うというけど、国連の看板を背負うのも重責とプライドといろいろあるんだろうな。一方の多国籍軍は、また植民地化しようとするんじゃないかって訝られるふしもあるみたいです。

 

ーレジティマシー

これはけっこうアイオープナーだった。

レジティマシーという言葉は広辞苑にはなかったし、ジーニアス英和辞典には「(U)合法性、正当性、嫡出、正系」と一行だけ日本語訳が載ってた程度です。でもこれがこんなに平和構築に超重要なものだとは!!!

 

まずコンプライアンスという概念からみていきましょう。

ハード教授によれば、人々が法律やルールに従う(法令順守=コンプライアンスする)場合、主に三つの動機が考えられる。一つは、「強制力」。つまり、警察や軍など強制力によって脅かされ、処罰される可能性があるため、法律やルールそのものは納得していなくても、嫌々従うという場合である。二つ目は、「個人的な利益の計算」を動機としており、法律やルールを守ることによって得る利益と破ることによって得る利益を計算して、守った方が大きいと思った時にルールに従うという場合である。(P.46)

 

ふむふむ。残り一つは? 

これまで国際関係論では、右の二つの動機だけが強調されてきたが、ハード教授は、ルールに従うもう一つの大事な動機があると主張する。それが「レジティマシー」である。人々は、ルールや制度、そして政府などが「レジティメイト、つまり正統である」と考えた時、強制されてではなく、また個人的な利益をわざわざ計算するまでもなく、自主的にそのルールや制度を受け入れ、それに従うという見解である。(P.47)

 

例えば、衆議院総選挙。日本では「不当に政権を奪取した党がつくったルールに基づいて行われた選挙だから、次の政党も正当性がないからこの選挙結果には従わないぜ!」みたいなことって稀ですよね。少なくとも私はそう思ってる。でも、ひとたび途上国の政情に目を向けると、これってほんまによく見かける問題。 アフリカでも南米でも東南アジアでも、無意識にニュースで入ってくるぐらい頻繁なものだと感じます。

 

日本国憲法がアメリカからの押しつけ憲法で正当性がないからそれに基づく法律も全部いかーんって議論はこのレジティマシーの問題ですけどね。

 

紛争直後の国において政権を握る人・組織が不安定な場合、他の国はどうそれをサポートしたらいいのでしょう?

選挙についていえば、信頼できる第三者が選挙を支援したり監視したりすることで、選挙そのものの公正さが担保され、次回の選挙でも信頼できるとすれば、現地の政治勢力(政党)は、今回の選挙でたとえ負けても、まあ次の選挙まで野党で頑張ろう、となる可能性が高い。一方、選挙で負けて野党になった途端、政治犯として逮捕され監獄に収容されると思ったら、選挙結果を受け入れることは難しいであろう。信頼できる第三者の仲介や監視は、選挙の公正さを担保すると同時に、選挙後の政治的自由を担保する上でも重要なのである。ここに、紛争後の平和構築において、外部アクターの介入が要請される主要な理由がある。つまり、外部アクターに「それぞれの紛争当事者に対して、公正な主体として」相互信頼の醸成を担ってもらうのである。

 

現地の政権・人を中心におきつつ、住民も認めてくれる政治体制をつくらないといけないんですね。

 

 新たな政府が正統性を確立するには、長い道のりが必要である。現地の政治勢力や大多数の市民が、複数回にわたって、選挙の結果や、軍備解体のプログラム、そして憲法の内容やそのルールなどを受け入れ、それに従うことを繰り返すことによって、ようやく政府の正当性が確立していく。実際には、紛争当事者であった軍閥や部族が政党化し、これまで武力に頼ってきた関係が、民主的なルールにそって問題を調停、解決していくようになる。このように、武力に頼ってきた軍事勢力が、民主的なルールで競い合う政党として、そのアイデンティティを転換させていくことを、政治学で「社会化(Socialization)」と呼ぶ。(P.56)

ミャンマーの前大統領テインセインさんとかまさに社会化しようとしたんじゃないかなー!!

 

だから「軍政」だとそれだけでぺってしてしまうのはもったいないケースも。

アイデンティティの転換が行われることは、平和構築が定着し、政府が正統性を確立していく上で重要だと私は仮説していた。なぜなら、これまで支配地域の拡張など軍事的な目標に固執していた軍事リーダーが、民主的な政治制度を受け入れた政治家として自らのアイデンティティを変え、住民からの支持拡大や、選挙での当選などを目標に据えることは、民主的な方法でものごとを解決する(つまり武力ではなく平和裏に解決する)風土が根付く上で、欠かせない要素だと考えるからである。(P.108)

 

 平和へのプロセスと重要なポイントはざっとこんな感じです。

 

―アフガン

筆者がフォーカスしているアフガンの状況は2009年時点でこう。

苦しいのは、アフガン政府の軍や警察もまた信頼できず、それ自体、脅威でもあることだった。「私たち住民は、タリバンなど武装勢力からも脅威を感じ、政府側の軍や警察からも脅威を感じているのです。毎日が不安と恐怖です」(P.8)

  

治安の悪化のために政府職員や国連職員が立ち入りできなくなると、その地域での開発支援や社会基盤整備が遅れることになる。それが地元住民の生活を悪化させ、政府への不満を高め、さらに犯罪や反政府活動が増加してしまう。この「治安の悪化→支援や整備の遅れ→住民の不満→反政府活動や犯罪の増加→治安の悪化」というまさに負の連鎖が、アフガンの多くの地域、特にパシュトゥーン人が多く住む地域で起きているのである。(P.84)

 

二人のカンダハール県の幹部が語った政府の腐敗についての不満はアフガン全体で多くの人が繰り返し話した。カンダハールに滞在するある国連職員は、「一般のアフガン人は政府が極端に腐敗し、汚職にまみれていると考えています。実際に腐敗しているかどうかよりも、人々がそう感じていることが重要で、それが政府への信頼を大きく低下させています」(P.92)

 

経済的な理由や部族の生存のためにタリバンに協力しているような人まで、「テロリスト」の名で殺害し、しかも一般市民まで巻き込むことになれば、その被害者の親族や子供、親は、反アメリカ・反政府のための報復の戦いに参加することになるであろう。…アフガンにおけるタリバンのような地元密着型の反政府勢力と対峙するとき、軍事的作戦によってのみ治安を回復できると考えることの非現実性がある。(P.172 )

 

ー平和構築の実績

世銀のリポートによれば、一九六六-九九年の世界の紛争のおよそ五〇%が、紛争終結から五年以内に、再び悲惨な武力紛争に後戻りしている。平和構築は、頻発する「紛争の再発」を防ぎ、平和を定着させる努力だと位置づけられた。(P.30)

 50%ってやばないですか。しかも世銀がこういう数字を出すのにも少し驚き。

 

 

平和構築って感情でなく理論と枠組みに基づいて粛々と着実に進めていくものなんだと勉強になりました。

 

平和構築か。ルワンダに留学する友達が平和構築学ぶって言っていたけども、まさにルワンダ国連が撤退して見放したみたいになってしまった失敗例(詳しくは映画「ホテルルワンダ」参照)。すごいなー勉強したいし経験積みたい。