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海外飛び出すことになったブログ

やっと海外行きが決定しました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

2017年に突入しました。チラ裏な平和に対する思い。

ぼやき

明けましておめでとうございます。

 

年末年始は、親戚めぐりや同窓会などで気持ち新たになりますね。

 

祖父母にアフリカに2年間いくよという報告をしたんですが、もう涙がどばーと出て。

 

祖父母はもう90で、よぼよぼふわふわ。脳みそもふわふわ。平和の象徴みたいな笑顔をくれます。この人たちがしっかりお父さんを育てたからこそ、そっから私が生まれてだめながらも育って、やりたいことをできてる。

 

ばあちゃんにも聞かれたけど、アフリカに2年間、といきなり聞くと「なんでー?」となるのが自然。一言ではうまく言い切れん、平和教育の影響をもろに受けてとにかく平和に対する思いが強くて、自分がなんかそのために動きたくて。

 

中学校の時に夏休みの宿題で、おじいちゃんおばあちゃんに戦争体験を聞いてきましょうというのがあった。

母方の祖父母は幼かったので、記憶の鮮明な父方の祖父母に聞いた。

 

じいちゃんは飛行機?を作る技師的なことをしていた。技師として必要要員だったから自分が前線に出向くのは遅らされて、結局行かずにすんだらしい。飛行機を作りながら、材料不足も甚だしい状態で、一技師から見てもアメリカに負けるというのは明白だったらしい。

 

ばあちゃんは空襲にあって、ロータリーは死体がつみあがってたらしい。大火傷のせいかみんなとにかく喉がかわいてそのへんの水を飲みたがるけど飲んだら死ぬ(⇦調べたら科学的根拠は乏しいらしい)から、さらに死体がいっぱい。

大八車で死体を探して乗っけてく人とか、蛆虫がわいてそこらにただよう死臭とか。連絡手段もなく、親戚の安否もわからず、わやだったらしい。

 

そんな話をおだやかに語ってくれた。辛いことを思い出すんて辛いと思う。やけど、そうやって聞いた話は本当に貴重で、二度とそんなことを起こさんようにするんが後世の人間の義務でしょーー。という模範生徒みたいなことを今でも心の底から思ってる。戦争の前提とか背景がどうあれ、ミクロでみたらそれって200%まちがっとるからね。

 

その話を聞いたのがせいぜい13歳。今26歳。倍生きて、いざ自分が平和な世界作りに貢献できることはなにか増えたかっていうと恥ずかしいくらい何もできない。

 

そんなこんなで感謝の気持ちとか決意とか山ほどあるけど上手くいえず「ありがとう。また来るね。元気でね!」と簡素な挨拶になってしまう自分が不器用すぎてむりー。

 

誰しも思っとるやろうけど、平和な=みんなが自分幸せ〜ってかみしめられる世界が2017年に完成しますように!ASAP