海外飛び出すことになったブログ

やっと海外に住みはじめました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

Book Review『風に舞いあがるビニールシート』

 

風に舞いあがるビニールシート

風に舞いあがるビニールシート

 

 好き度:★★★★☆

 

協力隊の同期に勧められた本。

森絵都さんの作品は『屋久島ジュウソウ』という旅エッセイしか読んだことがなく、なんとなくぼやっとしているなーという印象だったのですが、これを読んでみると日常を描くのがうまい人なのかなというプラスの印象に変わりました。なんとて、これ直木賞を受賞しているらしいです。なるほど。

 

この本には6つの短編集が入っていて、内容はそれぞれ独立しています。6つに通底するものをみいだす、、みたいな読み方はもちろんできると思います。森さんが早稲田の二文の方で、文キャンの学食、学読だろう舞台もでできてにやにや。

 

 お気に入りのふたつについて記録。

 

<犬の散歩>

 保健所の犬に飼い主をみつくろうボランティアをしている主人公、恵利子。彼女がもやもや考えていることに毎回同意!同意!ってなって全文メモしてしまう勢いでした。

 

飼い主探しのビラ配りに対して示す反応は様々。

これは人間の優劣の問題でも善悪の問題でもなく、ただたんに、興味のベクトルの問題なのだ。恵利子が相撲にまったく興味を持てないように、ゾウリムシの生態に思いをめぐらせたことがないように、自分たちが肥満したのはマクドナルドのせいだと訴訟を起こす人々の気が知れないように、見る人が見れば恵利子のしていることなど「だからなに?」程度の事でしかない。(P.66)

 

「世界には食うに困って飢え死にしていく人間だっているのに、犬助けとは、まったく優雅なもんだ」(P.68)

これな。海外ボランティアに行って熱心に活動している人もいれば、興味はないけどすごいなーと眺めている人、逆に嫌悪感を持っている人。どれがいいとかなくて、興味のベクトルの違いだよねとある意味切り捨ててしまうのは、冷たいのでしょうか、、、?

 

「なんでそんなん行こうと思ったの?!」と劇的なストーリーを求められる(ように思える)場合も多いです。でも正直自分としては自然に、、、としか言えない(笑)誰しも納得できるような分かりやすいきっかけとかないです。

一言でいえばなりゆきかな、と多少、肩の力が抜けてきた昨今の恵利子は思っている。

長く閉ざしていた瞼を開いたとき、恵利子の前に現れたのは寝たきりの老人でも虐待に苦しむ子供でも遠い国の難民でもなく、人間に捨てられ人間に捕らえられた無数の犬たちだった。(P.72)

 

かといって、なりゆきでまったく意思がないわけではなく、責任感とか罪悪感とかノブレスオブリージュ的な意識はあります。

 目をそむけてさえいれば、恵利子の毎日はそこそこ平穏に、波風もなくゆるゆると通りすぎていった。… 本当にこれでいいのかと、こうして死ぬまでゆるゆると年だけを重ねていくのだろうかと、形にならない疑問がうごめいてもいた。(P.78)

 

また、レストランのランチタイム。30代の女性主婦2人が、イラクで拉致され解放された日本人について話しているのが聞こえてくる場面。売名行為だ、自己責任だ、身代金が税金から支払われるのは迷惑、という声。

税金を納めている自分には無分別な日本の若者を裁く権利がある、とでもいうように、内心はその志や行動力が妬ましくもある彼らのことをふんぞり返ってながめていた。(P.79)

自分が払った税金の使い道について考えを持つのは正しいですが、「裁く権利がある」というとまでの認識になる(たぶん無意識)と行きすぎかもなぁと。

 

ボランティアという言葉を聞くと、善行のふりをしてじつは儲けているんじゃないの、という顔をする人が意外と多い。どんな事象もつぶさに調べればその襞に利害がひそんでいる、と信じて疑わない人たちが。(P.83)

 これも深刻な問題だよなー。駅で震災の犬猫のお世話の募金したよーって話を友達にしたら、「それ全部詐欺だよ」と言われてショックだったのを思い出します。それがどの程度信憑性のある噂なのか、そもそもそこらで見るボランティア団体に対する募金はちゃんとしたものなのか、調べるすべがないから困ります。現金って足がつかないし。これが例えばブロックチェーンの技術で解決できるなら、めっちゃいいかも!?

 

ブロックチェーンは以下↓

locayrica.hatenablog.com

 

自分にあてはめられるセリフ満載なエピソードでした。

 

<風に舞い上がるビニールシート>

本のタイトルとなってもいるこの話が本のトリを飾ります!迫力。名作。

 

UNHCRに勤める男女ふたり。フィールドすなわち難民が発生するような危険地域に身を置くことにこだわる男性・エドと、彼の仕事に理解は示しつつも一般的な温かい家庭も築きたいバリキャリ・理佳。

 

国際協力ってほんまにある面では偽善で息苦しくて泥臭くて暗い仕事なんだろうなーと感じ始めています。栃木でいろんな活動をしている人が「気持ちいい程度に人を助けるって楽なんですよね。それが悪いとは言わないし、それをする人がいてくれて本当にありがたい。でも、だれかは嫌な部分も全部正面からみて挑まないとだめ」って言ってました。説得力ありすぎ。自分はそこまでどっぷりつかる根性あるだろうか。そうありたいな。

 

 世間から見ると、世界を股にかける高給取り国際公務員アメリカ人と結婚し、白金台のマンションに住む彼女は羨望の目でみられます。夫が年中紛争地域にいて連絡も取れない、難民の命より夫の命を案じてしまう心もち、そんな辛い実情を説明してもわかってもらえません。

彼らはエドの深刻な任務など知りたいわけではないのだ。かつての自分がそうであったように、ただ景気の良い話をして盛りあがりたいだけなのだ。難解で重苦しい事実は見て見ぬふりをされる、それもこの世界の機能の1部ではないか。(P.284)

 

決定的に二人を引き裂いたのは、子どもを持つか否かの話です。エドの言い分は、

風に舞いあがるビニールシートがあとを絶たないんだ。…人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに簡単に舞いあがり、もみくしゃになって飛ばされていく…暴力的な風が吹いたとき、真っ先に飛ばさるのは弱い立場の人たちだ。老人や女性や子供、それに生まれて間もない赤ん坊たちだ。誰かが手をさしのべて助けなければならない。どれだけ手があっても足りないほどなんだ。だから僕は思うんだよ、自分の子供を育てる時間や労力があるのなら、すでに生まれた彼らのためにそれを捧げるべきだって。それが、富める者ばかりがますます富んでいくこの世界のシステムに加担してる僕らの責任だって」(P.290)

 うあぁぁぁ加担、、、責任、、、贖罪、、、

 

理佳

「私たち夫婦のささやかな幸せだって、吹けば飛ぶようなものなんじゃないの?あなたがフィールドにいるあいだ、私はひとりでそれに必死でしがみついているのよ。あなたはなにをしてくれたの?」

 

エド

「仮に飛ばされたって日本にいるかぎり、君は必ず安全などこかに着地できるよ。どんな風も君の命までは奪わない。生まれ育った家を焼かれて帰る場所を失うことも、目の前で家族を殺されることもない。好きなものを腹いっぱい食べて、温かいベッドで眠ることができる。それを、フィールドでは幸せと呼ぶんだ」

日本は日本で課題山積なのはそうだけども、もっとやばい次元で苦しんでる人がいるんだよなーーーーーこれも上で出てきた「興味のベクトル」で説明できてしまうのかも。

 

まぁそんな感じでエドと理佳はあれやこれやなってしまいます。エドはアフガンであれやこれやなってしまい、複雑な過去をかかえた彼にとってはあれやこれやなあれこれになります。とりあえず涙。それを受けて理佳はあれやこれやなってとりあえず涙。

 

エドの身の捧げ方はすんごいなぁと 、ボキャ貧も甚だしいけど、すんごいなぁと思います。

 

ネタばれにならないように説明試みるとやばい感じになりましたが、さすがは直木賞受賞作です。ぜひご一読ください。