マラウイの政治について徐々に勉強中
今日は本じゃなくて論文を読みました。卒論というものの扱い方がわからないのでとりあえず出典とか明示せずにへーと思ったことだけメモ。
論文は1998年のものなので、今の状況とはだいぶ違うことが前提にあります。マラウイの人口も当時は1000万人って書かれてるけど、今は1700万人っていわれてるし。20年で1.7倍になるんですねぇー
一番勉強になったのは、
マラウイの北部、中部、南部で支持政党が大きく違う!その理由は、植民地時代からの宣教活動の歴史・教育・移住・農業政策が違ったから!
ほぉぉ、アメリカにせよ日本にせよ?地域色あるのは当たり前と思っているけど、マラウイについて考えたときは想像も及びませんでした。
マラウイは南北に細長い形なので、北部、中部、南部という区分をするそうです。
ざーっくりいうと、1964年にイギリスから独立し、1994年までの30年間はずっと同じ人(バンダ大統領)が政権の座についていました。この間の憲法では、「大統領の所属するMCP(Malawi Congress Party マラウイ会議党)しか合法じゃない」「バンダが終身大統領」とかひぇぇって規定がけっこうあったようです。民主的じゃないってやつ。
そこから民主化要求が高まったり、アムネスティインターナショナルはじめ、外国からの外圧が高まったりで、複数政党制にしようぜーというのが国民投票で決まりました。
で、ついに1994年。大統領選挙が行われました。
①チャクワ・チハナさん (AFORD党) 北部で圧勝
③バキリ・ムルジさん (UDF党) 南部で圧勝
人口は 北部:中部:南部=1:4:5 くらいなので、全体としては③ムルジさんが大統領に決まりました。
北部は、トゥンブカ語による宣教活動、アフリカ人としての教育が早くから普及し、また現金収入のための季節労働が行われていました。その季節労働者とその家族は北部に定着しました。①のチハナさんは、バンダ大統領の時代に反政府的だったので逮捕されています。(因果関係??)
中部は、バンダの支持基盤。比較的同質な文化・言語(チチェワ語ってことかな?)をもっていて、植民地時代から小農がタバコ栽培をしていたそうです。
南部は、人口が密集しており、少ない南部の土地の白人植民者が私有財産として管理する権利を有していたことに対し、政府に不満をもっていた背景があります。
今の政治状況について全然まだ調べるに至っていないのですが、政治ニュースを読む背景知識として持っておけばいろいろ理解がスムーズになりそう!と感動した次第です。
あと、バンダ政権のときから、つまり政党がひとつしかなかった時代から、幹部については北部、中部、南部出身者のバランスをとっていたみたいです。地域の利益を代表する、みたいな感覚なんだろうか?それが結果的に政権の安定につながったという指摘でした。
私の行くのは南部に該当します。今でもUDFという政党が力をもっているんだろうか、、この論文の20年後を確認してこようと思います!
論文かっこいいなぁ、自分も書きたい。書ける気せんけどいつか書きたい^^
以上。