Book Review『台湾人と日本精神』
好き度:★★★☆☆
アメリカにMBA行ってた人が上司に勧められて、「読んでてよかった~!」となったらしい。海外に出る人必読の書としてプレゼントしてくれた本。感謝!
もらっといて言うのもあれなんですが、自分の考えと違う論調の本なり新聞なり読むんてけっこう堪えますね、、でも知らなかったこと、新鮮な見方、いろいろあったのでプラスマイナスで★3つ><
著者は蔡焜燦(さい・こんさん)さんという、台湾で生まれで'日本人'時代も経験した人。
以下、本文引用して自分の考えを書こう、、、とも思ったけど、部分的に切り取るんてまじで難しい、controversialなテーマと扱うときにはなおさら。※私の理解する限りにおいて、という但し書でも掲げとこう)^o^(
たぶん、筆者の言いたいことは「昔の日本精神はまじで最高だった!今はへたれだ。昔の意識高くてかっこいい日本に回帰してくれ!かつ、台湾はややこしくて民度の低い中国との外交においても重要な鍵を握るので、仲良くしてね。」
教育面、インフラ面において
内地の国家予算から膨大な金をつぎ込み、台湾を本国と同等水準に引き上げようとした日本と、植民地から搾取のみ行っていた当時の欧米諸国の違いがよくわかる。(P.59)
やっぱ教育水準がすべての基礎なんだろうな~
欧米列強の行う植民地政策と日本のそれが全く違ったとして、イギリスに開発学を学びに行くというのは正しいのか?とも思いました。笑
「 『高砂族』と日本時代によばれてきた台湾山地人の美質は、黒潮が洗っている鹿児島県(薩摩藩)や高知県(土佐藩)の明治までの美質に似ているのではないか。この黒潮の気質というべきものは、男は男らしく、戦に臨んでは剽悍で、生死に淡白である、ということである」(『台湾紀行』)(P.116)
これは司馬遼太郎の本の引用部分です。民俗学的に「黒潮気質」というのが存在する説があるらしい。おもしろ。
ふん、、ふん、、と読んでいて、どうしても一か所いやいやいやいやってなったのが以下。
引き揚げ者の中には、海南島から日本兵と共に引き揚げてきた二十名ほどの台湾人慰安婦の姿もあった。彼女達は我々と同じキャンプに収容されて台湾への帰国を待っていた。彼女らは口々に、「海南島は儲かるし、それよりも兵隊さんが喜んでくれたんです」と語っていた。そうした生の声には、現代の日本で騒がれるような強制連行の“悲劇”などは存在しなかったことを、私のこの耳がしっかりと聞いている。(P.130)
ん、、?これは例えば「戦時中は家族が亡くなって苦しかったしつらかったけど、その中でも小さな喜び、幸せがあった」⇒「戦時中は幸せがあふれていた!戦争は全面的に正しい!」みたいな曲解じゃないのかなーと。
昔、仕事がつらかった時期に、「残業多いし、仕事内容も特殊なこと多くて聞ける人がおらんし辛すぎ死にたい[90%]。でも、逆に言えば自分のポジションでしか経験できんことばっかりで、その点は何とかやりがい見いだせなくもないかな...[10%]。」と友人(?)にこぼしました。そしたら後日、「Nちゃんは仕事にめちゃくちゃやりがい感じとって、超楽しいらしい!」という話が出回ってました。え?アスペ?10%部分を100%にひきのばしたのか?ks野郎なの?ちょっと追い詰められていたこともあって、なおさら凹みました。
まぁこれはチラ裏なんですが、文脈ってあるじゃないですか。その慰安婦たちがどういう文脈でこのセリフを言ったのか、そこがすべてだと思うんですよね。蔡さんが聞いたセリフが嘘だというんじゃなくて。
もしかしたら性産業に携わる人への偏見や無理解が私の中にあるのかもしれない。プライドとか使命感持っててプラスの気持ちが90%な人がいたことも事実なのかも。
あと、世界史選択だったくせに恥ずかしながら近現代史苦手でよくわかってなかったのが、蒋介石について。
蒋介石はあくまで大陸人という位置づけらしい。1949年に中国本土で毛沢東の中華人民共和国が成立して、中華民国政府は台湾に逃れた。それを率いた蒋介石は「反共産党」ではあるものの、やはり大陸人であるので現地の台湾人を弾圧したと。そのまま蒋介石の息子の時代も代り映えしなかったが、アメリカからの民主化の外圧などもあり、1988年、蒋経国の死去とともに、李登輝が台湾人として初のトップに立った、というもの。
こんなにご近所の国でも、みんな中国語を話すから中国人、台湾人、香港人とかいっしょくたにしてしまっている面がありました。細かくカテゴライズし始めたらきりがないし、どちらかと言えばより大きくカテゴライズしていこうよ、という意見の持ち主なのですが、それは個々をつぶして無視してもよいということではないので、反省。
私は筆者の言う戦後の自虐史観教育をもろに受けており、へたれなんだろうなーと思います。そんな感じのところに、こういうパンチのある本読むというのはすごくおもしろい。
「日本人よ胸をはりなさい」 胸をはれるだけ勉強して経験積むようにってことだろうな!精進しまーす!
Book Review『聖の青春』
好き度: ★★★☆☆
『聖の青春』 これほど題名が内容を完全に表す本はめったにないんじゃないか!
たっくさん本を読む友達がくれた本。将棋には今まで無縁だったので、戦局の話はほぼわからんかったけど、、、夭折の天才棋士・村山聖(さとし)さんの青春をまさに描いてる。
せい-しゅん【青春】
①(五行説では春は青にあてる)春。陽春。
②年の若い時代。人生の春にたとえられる時期。 (広辞苑)
人生の春、ってことは春夏秋冬があってその四分の一くらい?(日本の場合は。他の国、ドイツとかだと春はもっと短そう)
自分の感覚では人生80年のうち、10~30歳あたりを指す。
村山聖さんは5歳でネフローゼという病気にかかる。そして29歳で死ぬ。本に描かれているのはその間の彼の人生。主に病気と将棋で構成されている風だった。
で、5~29歳までずっと青春。とぎれることなくずっとアツくて、青春っぽい。「一生青春」というちょっとくさいフレーズも、彼の人生にあてはめてみるとリアルそのもの。
広島出身の村山聖さんは、病床で将棋に出会い、最初は広島で無双状態に。でも都会に一歩出ると。
広島では強い強いと誉められたが、結局は井の中の蛙だったんじゃないかと疑心暗鬼になりかけていた。全国には化け物みたいに強い子供がいっぱいいる。(p.65)
それからさらに頑張る。
明確な目標があり、そのための努力があった。そんな単純な図式が心地よく、聖の心は充たされていた。今の自分の努力は、自分の夢に直結している。やればやるほど確実に名人に近づいていく、その現実が聖のやる気をますます募らせるのだった。(P.76)
村山聖さんの師匠である森信雄さん(愛媛出身)の人生もけっこう描かれる。
もちろん棋士なんだけども、昔は貧乏で大阪に出て将棋とは関係ない仕事でお金をかせいでいたことも。
ゴム工場とか呉服屋のように自分がやるべきことや仕事の意味がわからないというのが、森にとってのいちばんつらいことであった。自分が役に立っているのかどうかさえわからずに、何がしかのお金を受け取ることに激しい抵抗感と屈辱感があった。(P.96)
あれ、なんか自分がメモったところ、仕事論部分しかないやん。笑
とにかく村山聖さんは死というタイムリミットを常に意識して、時間の無駄を極度に嫌い、超あつい人生歩んだんだな~というのを知った。
反面、というか、であるがゆえに、めちゃくちゃ頑固で譲らない。自分のしたいことだけをする。(この人の場合は、自由放埓というんじゃなくて、目標のために必要なショートカットだけを歩む感じ)で、周りはそれを受け入れる。
この構図は最近見た 『3 idiots(邦題:きっと、うまくいく)』というインド映画の登場人物たちとかぶるので、ぜひこちらも。
gdgdすごしてる暇ないな~!
歯医者に行ってきた!in Japan
海外行く前の歯科検診。マラウイは治療費がべらぼうにかかる問題以外にも、そもそも歯医者ちゃんとあるのか問題がたちはだかるので、日本でさくっと行っておきました。
結果、1000円で虫歯なしということが確認できたので、満足です(^^)(まだ正社員なので社保。)
歯科検診に行くといつも(といっても、直近は4年前のボストン短期留学前やけど)「ブラッシングきれいにできてますね!」と褒めてくれるので歯医者さん好きです。
歯医者苦手な人の対極に位置しているとの自覚あり!
本日もらった、歯を健康に保つためのアドバイス。
フロスを有効に使いましょう!
フロスって何ですか?という超無知な質問で返してしまったのはさておき、要は糸ようじですね。
形状としては、糸だけのもの、糸がプラスチックに装着されてるものいろいろありますが、コスパが最もよく、慣れたら最も使いやすいのが、ただの糸状のものだそう。
使い方は、左手の中指に2〜3回巻きつけ、左手の人差し指と親指でつまみ、逆の端は同様に右手の人差し指と親指でつまみます。
なるべく作用部分を短く(5cmくらい?)構えるとよいらしい。
それを毎晩すれば、歯と歯の間にひそむプラークなるものを取り除けるそう。プラークの中に、虫歯のもとになる細菌がいるんだとさ。毎食後ほどは必要ないらしい。
以上が本日収穫した有益な情報。以下は感じたこと。
◯幼いころに通っていた歯医者さんに行ったのですが、診察券を出すと『こっち戻ってきとったんやねぇ』と受付の人が声をかけてくれました。なにこのホーム感!(私覚えてないぞこの人!汗)ホームがあるって精神的に豊かになれるなぁとしみじみ思いました。
◯歯医者さんは診察台が倒れる。久々すぎて新鮮な驚きだった。美容院のシャンプー台やなあれ!
◯診察後、『もし出発前に時間があって、フロスの使い方わからんとかあったら、持ってきてくれたら使い方教えるけんね〜』と。Customer Satisfaction やばっ!こういうプラス1の声かけが営業的にも大事よなーと。
退職まであと1週間。
技術補完研修まであと2週間。
Book Review『堕落論』
好き度: ★★★★★
〈堕落論〉
元来日本人は最も憎悪の少ないまた永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。(P.9)
〈青春論〉
女の人が、もう二度と会わない、会うと苦しいばかりだから、ということを手紙に書いてよこしたとき、僕もまったく同感した。そうして、まったく同感だから再び会わないことにしましょう、という返事をだして、実際これで一つのくだらないことがハッキリ一段落したという幸福をすら覚えた。今まで偶像だったものをハッキリ殺すことができたという喜びであった。(P.66)
死ぬることは簡単だが、生きることは難事業である。僕のような空虚な生活を送り、一時間一時間に身のない生活を送っていても、この感慨は痛烈に身にさしせまって感じられる。こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それでいて生きているのが精一杯で、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい。僕には余裕がないのである。生きることが、ただ、全部なのだ。
そういう僕にとっては、青春ということは、要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、また、終わりというものもなさそうである。(P.96)
〈恋愛論〉
私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。(P.106)
Book Review『タイムマシン』
- 作者: H.G.ウェルズ,佐竹美保,H.G. Wells,雨沢泰
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
好き度:★★★☆☆
大好きな友達がおすすめ、プレゼントしてくれた本!
タイムマシンを作って乗ってみたタイムトラベラーが時空の旅経験を語ってくれる!その時空というのが、近未来という現在の延長として想像できるものではなく、80万年後っていう設定。
時間軸を逆方向に80万年遡ると、地球は地質年代でいえば新生代、ジャワ原人が繁栄していた時代。めっちゃ昔だよなぁ。
奇遇にも、今日は200年後の未来に生きる人たちが現代に現れたら、、という話を聞いて、場所的に世界レベルで考えるのと同じように、時間的にも未来の方向に広く考える視野って必要ー!とおもった。
Think globally, act locally! にかぶせて言うならなんて表現できるんやろう?Think eternally, act now! みたいな?
びっくりだったのは、私が至高と考える世の中も、80万年後には人類にとって裏目に出てたという点。
安全で快適そのものの社会になれば、本来なら力となる活発なエネルギーも、弱点になるだろう。(P.70)
危険を排除し安全を確保し、悲しみや怒りという負の感情を減らして幸福にあふれる穏やかな世界、、(お花畑)が一応の私の理想郷像だったのですが。それが実現して悔しさをバネに頑張るみたいな「野蛮な」気持ち、行いがなくなって人類は無能でふわふわした言語もまともにしゃべらない生物に成り下がっていたのです。
ぎくっ。それは今でも感じる!途上国の人たちは豊かになろうというまさにハングリー精神がやばい。バンコクで思ったのは、大都会のビル群のすぐ裏に、戸もないような崩れそうな木の家群が並ぶ。あれだけ目に見えて貧しさが近くにあれば「自分はあそこに戻りたくない」という正当な?上昇志向が強いのも無理ない。
実際日本に来てる外国人は、母語+日本語+英語とマスターしていて個人レベルでみたら私となんか比べ物にならんくらい努力してて有能。頑張ってくれたちょっと昔の日本人のレガシーにのっかって、ド楽な生活をしている自分に喝。
日本は世界に先駆けて、80万年後の無能人類に片足つっこんでる課題先進国なのかも?
人間の知性の思いえがいた夢が、こんなにはかなく消えたのかと思うと、ぼくは悲しかった。まるで知性の自殺だ。人はここちよい楽な暮らしを追いもとめた。いつまでも安全でゆるぎない、調和のとれた社会をつくろうとしてきた。そして、その目標を達成し、こういうふうになった。(P.165)
問題の本質を考えようとせず、目に見える範囲のことにだけとらわれるのって愚かだ!と思ってましたが、目に見えない範囲って際限ない。目の前のことするのって尊いなって思いました。
はーーーーまた次回!
2017年に突入しました。チラ裏な平和に対する思い。
明けましておめでとうございます。
年末年始は、親戚めぐりや同窓会などで気持ち新たになりますね。
祖父母にアフリカに2年間いくよという報告をしたんですが、もう涙がどばーと出て。
祖父母はもう90で、よぼよぼふわふわ。脳みそもふわふわ。平和の象徴みたいな笑顔をくれます。この人たちがしっかりお父さんを育てたからこそ、そっから私が生まれてだめながらも育って、やりたいことをできてる。
ばあちゃんにも聞かれたけど、アフリカに2年間、といきなり聞くと「なんでー?」となるのが自然。一言ではうまく言い切れん、平和教育の影響をもろに受けてとにかく平和に対する思いが強くて、自分がなんかそのために動きたくて。
中学校の時に夏休みの宿題で、おじいちゃんおばあちゃんに戦争体験を聞いてきましょうというのがあった。
母方の祖父母は幼かったので、記憶の鮮明な父方の祖父母に聞いた。
じいちゃんは飛行機?を作る技師的なことをしていた。技師として必要要員だったから自分が前線に出向くのは遅らされて、結局行かずにすんだらしい。飛行機を作りながら、材料不足も甚だしい状態で、一技師から見てもアメリカに負けるというのは明白だったらしい。
ばあちゃんは空襲にあって、ロータリーは死体がつみあがってたらしい。大火傷のせいかみんなとにかく喉がかわいてそのへんの水を飲みたがるけど飲んだら死ぬ(⇦調べたら科学的根拠は乏しいらしい)から、さらに死体がいっぱい。
大八車で死体を探して乗っけてく人とか、蛆虫がわいてそこらにただよう死臭とか。連絡手段もなく、親戚の安否もわからず、わやだったらしい。
そんな話をおだやかに語ってくれた。辛いことを思い出すんて辛いと思う。やけど、そうやって聞いた話は本当に貴重で、二度とそんなことを起こさんようにするんが後世の人間の義務でしょーー。という模範生徒みたいなことを今でも心の底から思ってる。戦争の前提とか背景がどうあれ、ミクロでみたらそれって200%まちがっとるからね。
その話を聞いたのがせいぜい13歳。今26歳。倍生きて、いざ自分が平和な世界作りに貢献できることはなにか増えたかっていうと恥ずかしいくらい何もできない。
そんなこんなで感謝の気持ちとか決意とか山ほどあるけど上手くいえず「ありがとう。また来るね。元気でね!」と簡素な挨拶になってしまう自分が不器用すぎてむりー。
誰しも思っとるやろうけど、平和な=みんなが自分幸せ〜ってかみしめられる世界が2017年に完成しますように!ASAP!