Book Review『開発援助の社会学』
好き度:★★★★☆
社会学ってなんぞや?と思いながら、佐藤寛(かん)さんの名前は開発分野でよく聞くので読んでみました。社会学についても開発援助についてもど素人ですが、具体的事例は分かりやすいし、今まで近代化や文化相対主義なんかについてもやもや考えていたことがすっきり体系化されていたので、ああこれが学問なんだなと思えました。
自分の消化のため(だけ)にメモ。
まず、第一章では発展とは何かを考えていきます。
社会の発展とは、進んだ技術を活用できる仕組みを備えた社会になること(P.12)
先進的な設備があっても、それを運用する労働者、仕組み等がないとその設備は捨て置かれてしまうことになる、、というよくある話。
また発展を図る指標としては、GDP、GNIなどがありますが、GDPの上昇は単に「経済拡大」「経済成長」を意味するだけで、「経済発展」とは言えません。農作物が不作だとGDPは単純に低下するからです。そこで、
経済発展=経済成長+経済構造の変化(P.14)
と定義します。経済構造の変化とは、第一次産業から二、三、、、今は六次化とも言われてるやつまで社会が複雑化・高度化していくことです。
第2章は、「近代化」についてです。
どういう世界になればみんなが「いい感じ」になれるかみたいなことを考えるところ。語彙があれすぎてほんまロジカルじゃないよな自分、、、
①単線的発展論・社会進化論
ダーウィンの進化論を社会にもあてはめた考え方。未開社会→古代国家→中世の帝国→近代的国民国家となってくもので、アジアやアフリカはまだ初期の段階にいるよねーと考えます。先進、後進が優劣の問題に結びつきやすい考え方です。
e.g. 「今のアフリカは日本でいえば明治15年くらいだね」
有名な人:
・オーギュスト・コント 1882 社会進化の三段階説(人間精神は、神学的状態→形而上学的状態→実証的状態に至る。人間社会も、軍事的段階→法律的段階→産業的段階をたどって発展・進歩する。)
・スペンサー 社会有機体説(社会は軍事型→産業型に進化する)
②ー1 従属論
すべての国の近代化は無理だ!と近代化を批判する立場です。
なぜなら、今の先進国は後進国を踏み台にしてこそ先進性があるわけで、もう地球上に植民地となりうる残された場所はないから今の後進国は近代化できないよねーという。先進的中枢諸国と低開発的衛星諸国の従属関係、またさらに低開発の国の中でも首都ー地方都市ー農村という従属関係がある。。
ヨーロッパを真似て朝鮮半島、満州、東南アジアなどを植民地化し、近代化に成功した日本は、この意味では西洋モデルを真似できた最初で最後の国であるのかもしれない。(P.33)
有名な人:
・フランク
②ー2 持続的発展論
これも近代化は不可能だと批判する立場です。
全部の国の全部の人が日本、アメリカのような生活をすれば資源は一瞬で枯渇するしCO2はやばいだろうし、すべての国の産業化・近代化を目標とする開発政策はまちがっている!という考えです。人口爆発もひどいし、はぁ。
有名な人:
・メドウズ 『成長の限界—ローマ・クラブ人類の危機レポート』
②ー3 ポスト近代化論・脱近代化論
工業化社会から情報化社会へ移行することで、エネルギー多消費から卒業できるとするがポスト近代化論。その情報化社会では、PCや電気の技術を前提にしているので、近代化自体を否定するものではありません。
工業化を否定して、自動車をやめて自転車にしよう!というのが脱近代化論。ホセ・ムヒカさんとかこれに近いかな?でも社会発展といえば近代化、というのが浸透していまった今では現実味がないという批判もあります。
③ー1 後発的発展のメリット
選択的近代化論というジャンルのひとつ。
先進国が工業する際に犯した過ち(公害など)を避けて発展できる後発者は有利だとする考え。これも思ったことあるけど、実際は排ガス規制がある国は投資が呼び込みにくかったり、労働者の権利を守る決まりをつくると外資が参入しなかったり、なかなか難しいようです。
③ー2 適正技術論
これも選択的近代化というジャンル。
近代西欧的な技術普遍主義×地域文化の固有性尊重 が融合された議論。
例えば、途上国にいきなりスパコンを持ち込むのでなく、速度を抑制しながら途上国それぞれの社会状況、技術体系にあった技術を開発していくみたいな。
有名な人:
・シューマッハー 中間技術
③ー3 文化的アイデンティティと土着技術
欧米の人類学者たちが中心となってネットワークを作り、土着技術の発掘・再発見、その背景にある価値体系や身体技法を尊重した近代化の模索をしてる、という方向性。
e.g. 和魂洋才、進化論とキリスト教の折り合い
③ー4 内発的発展論
西洋諸国のたどった道以外での近代化を模索する方向性。土着の文化・地域資源は発展のために活用できる重要なものだとします。この考えは欧米の開発研究では大きな影響力を持っていないらしいです。なぜならこんな苦悩を抱えてきたのは日本くらいしかないからです。でもこれ、いい気がする。マレーシアとかタイとか途上国で学べそうなマインドセット。
有名な人:
・鶴見和子
メモがながーくなってしまうので、はっとしたこと引用シリーズ。
植民地教育と開発教育にも類似点がある。植民地教育は宗主国の言語を教育に用いて、宗主国の人々と同様な教養を身につけることが理想とされる。もちろん、そこまで到達するのは原地のエリートに限られる。一方、開発教育においてはそれぞれの国の言葉が尊重されるが、開発援助をする側の「エンパワーメント」「ジェンダー平等」「人権」などの概念が伝えられ、先進国の民主的社会の常識を共有することが理想とされる。(P.60)
↑無自覚だったけど、ほんまに青年海外協力隊が世界でしてくる活動がいいものなのか不安。宣教師が行った悪い部分は踏襲しないようにしたいけど。。
しばしば女性の隔離は「イスラム」に原因が求められるが、単にイスラムの教義の問題だけではない。むしろ南アジアの基層文化(女性軽視)の上に、イスラムの教義(男女の分離)が覆い被さった結果、南アジアの女性は世界で最も抑圧された仕組みの中に生きていると言えよう。(P.107)
プランがしてる Because I am g Girl.のキャンペーンとかで何かとインドの少女がでてくるのはそういうことだったんね。
ほんの短期間調査にやって来るドナーが思いつくようなことは、実は女性たちもとうに思いついたことがあり、そして様々な検討の結果、やっぱり現状の方が良いという結論に達しているのである。決して、無知だからこれまで通りのやり方に固執しているのではない。本当に貧しい人にとっては、リスクを負って収入向上に賭けるよりも、現在の生活をいかに安定的に維持できるか、が最大の関心事なのである。(P.162)
いいと思ったことをできない環境を改善するのがほんまに必要やけど難しいところなんだろうなぁと。この本では30個くらい事例が出ているのですが、それぞれ全然成り行きが違う。それは土地、文化、歴史、時代などすべての背景が変数なんだからだと思います。開発援助って参考にできるものがゼロといえるほど複雑な分野っぽいです。
最後に、イスラムの事例としておもしろかったものをご紹介。
イエメンにはアフダームと呼ばれる被差別・貧困階層の人々がいます。彼らは主に清掃作業に従事し、空いた時間には物乞いをして生活しています。イエメン国内では、ろくに働かずに物乞いしてる恥知らず、と認識されています。
イスラム教徒ではありながら規範にあまり強く縛られないアフダーム女性は顔を出した状態で外出することが平気である。これは社会的に低い階層だとみなされると、顔を出しても恥ではないと考えられるからである(ただし、髪の毛は隠す)。(P.227)
↑こんな人たちがおるなんて聞いたこともなかったー!
で、イギリスの国際NGOのがOXFAMが彼女たちの支援をしようと家政婦訓練プロジェクトを開始します。イエメン人女性が家政婦として他の家に行くのは恥ずべきことだとされており、フィリピン人やエチオピア人のメイドが多く雇われていることから、参入余地があると考えられたためです。顔出しokな彼女たちならいける!ってわけですね。
ところが、訓練を通して、自分たちの社会的な地位を上昇させるためには他の普通のイエメン人女性と同じように顔を隠すべきだと考えるようになり、黒いベールを身に着けて顔を隠すようになりました。そして、若い男のいる他の人の家に家政婦としていくのは恥ずべきことだと「普通のイエメン人女性」のように考えるまでになり、家政婦として働くことを拒否するようになったーーー
家政婦を育てるプロジェクトとしては失敗、でも女性のエンパワメントとしては成功、でもベールを脱ぐのがいいと考えている先進国からすると真逆にいって失敗、という複雑な結果に終わったものです。
開発って単純じゃないな!!!