Book Review『縮充する日本』
縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望 (PHP新書)
- 作者: 山崎亮
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/11/16
- メディア: 新書
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好き度: ★★★☆☆
これも平田オリザさん『下り坂をそろそろと下る』を勧めてくれたのと同じ教授に勧められ、ジャンルも同じです。
新書やのに分厚くて高い(◞‸◟)
まちづくり、政治・行政、マーケティング、芸術、福祉、教育など、いろんな分野で参加型になってる/なってくよねという話。
以下ひたすらメモ。
二十一世紀の参加の潮流には滅私奉公的な匂いがしない。興味のある分野を自ら選択し、主体的に参加する人たちが増えている。有り体に言えば、「楽しい」から参加しているのである。(P.35)
こりゃ栃木のアジア学院で感じたことそのまま!
住民の参加がなく、人口増加と経済成長を前提に整備されたまちは、縮充すべき時代を迎えたときに住民が途方に暮れる事態を招く。「このままではいけない」と、誰もが肌で感じていながら、「自分たちの知恵と力でなんとかしよう」という発想にはなかなか行き着かない。そうなると、住民は役所に依存し、役所は国に依存するという構図から抜け出すことができなくなる。(P.90)
確かに公との関係でいくと、住民市民県民国民がお客さんな感じあるよなー。すぐ行政ディスるけど自分は何も動かん的な。
ゼロを一にするのは、しくみのないところで新たな活動を始めるNPOの仕事。一を一〇にするのは理論武装をして一般化する学者の仕事。それを事業にして収益を上げる五〇までは企業でもやれる。収益につながらない部分も含めてすべてに適用できる一〇〇にするのが行政の仕事。(P.93)
都市化の中で「個」の時代が進み、農村のしがらみから解き放たれる=生活者から消費者へ。当事者から傍観者へ。
お気に入りのブランドを持ち、ぜいたくなものを食べ、自分では豊かな生活を手に入れたつもりでも、そこに対して誰からの反応もなけれは、自由も豊かさも自己満足でしかなくなる。(P.204)
1995年は阪神淡路大震災が起きてボランティア元年と言われます。
「お金で課題を解決してきた人なら、義援金や物資を送ればいいと考えるだろう。そうではなく、被災地に入って自ら体を動かし、汗を流してボランティア活動に協力した人たちの心が欲していたのは、被災者からの「ありがとう」という反応ではなかっただろうか。」
2004〜ミクシィ、2008〜Facebook。いいねは参加機会欠乏症の妙薬。
マーケティング業界では、AIDMAに代わるインターネット時代の法則として1995年に「AISAS」が提唱されていた。Attention→Interest→Search(検索)→Action→Share(共有)→Attention...と循環する購買行動の特徴は、「検索」と「共有」という段階を経ていることだ。(p.229)
価格ドットコムや@コスメなどのサイトで検索、ツイッターで拡散、みたいな。
まとめられない。理解が深まってない。少なくとも「レビュー」ではないな。むー。