Book Review『世界の終りとハードボイルド·ワンダーランド』
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/04/08
- メディア: ペーパーバック
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/04/08
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好き度: ★★☆☆☆
村上春樹の本は5つめ。まだまだやけど、なんとなく雰囲気がつかめてきた!
この本はよくわからないけど、二つの物語が交錯していく。図書館、というところのリンクでやっとはっとさせられた。下巻のまあまあ最後の方。
喜怒哀楽をかかえながらも有限の人間生活を送りたいって話だろうか。よくわからないな。そうかもしれない。笑
二つが交錯していくこの感じ、どこかで経験したなーと思ってたのが、「海辺のカフカ」だ!あれはおもしろかった!
この小説、1985年のものなのに古くささを感じさせるものが圧倒的に少なくて、「西ドイツ」くらい。「ガス給湯器」?もそうかな。でもなんとて古くさくないのが不思議にすごい。話は空想でほんとによくわからない。
いっつも笑ってしまう独特な表現たちをメモメモ!
ただの太った女なら、それはそれでいい。ただの太った女は空の雲のようなものだ。彼女はそこに浮かんでいるだけで、私とは何のかかわりもない。しかし若くて美しくて太った女となると、話は変わってくる。私は彼女に対してある種の態度を決定することを迫られる
要するに彼女と寝ることになるかもしれないということだ。それがおそらく私の頭を混乱させてしまうのだろうと思う。(上22)
火箸は頭骨とは逆にずっしりと重く、まるでフルトヴェングラーがベルリンフィルを指揮するのに使う象牙のタクトのような威圧感があった。(上121)
フルトヴェングラーきたーー(゜ロ゜)笑
たくさんの数の女と寝れば寝るほど、人間はどうも学術的になっていく傾向があるみたいだ。性交自体の喜びはそれにつれて少しずつ減退していく。性欲そのものにはもちろん学術性はない。しかし性欲がしかるべき水路をたどるとそこに性交という滝が生じ、その結果としてある種の学術性をたたえた滝つぼへと辿りつくのだ。(上127)
自分で言うのもなんだけど、それほど質は悪くないよ。、、ほんとうのことを言うと気違いですらない。まあ多少偏屈で頑迷で自己過信のきらいはあるけれど気違いではない。これまで誰かに嫌われたことはあっても気違いと言われたことはない (上141)
私はゆっくりと小便をつづけた。その小便を終えるのに二分くらいの時間がかかったと思う。そのあいだ背後では「ボレロ」が聴こえていた。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。(下238)
これはまじで評価したいwww思わずボレロを口ずさんでしまった!笑
私の勃起はガザのピラミッドのように完璧だった(下巻280)
すごいよね、完璧さの比喩有能すぎやろ。。笑
あと、かわいい描写。
彼女は右手を自分のコートのポケットに入れ、左手を僕のコートのポケットに入れていた。僕は左手で小型のトランクを持ち、右手でポケットの中の彼女の手を握っていた。(下111)
あと、物語の本筋とは関係ないけど、「百科事典棒」という理論がおもしろかった!
「百科事典棒というのはどこかの科学者が考えた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻みこめるという説のことですな。どうするかわかりますか?」
「わかりませんね」
「簡単です。情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置き換かえます。ひとつひとつの文字を二桁の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合です。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。 そしてそれを並べたいちばん前に小数点を置きます。するととてつもなく長い小数点以下の数字が並びます。0.1732000631・・・という具合ですな。次にその数字にぴたり符合した楊枝のポイントに刻みめを入れる。つまり0.50000000・・・に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0.3333・・・なら前から三分の一のポイントです。意味はおわかりになりますな?」
「わかります」
「そうすればどんな長い情報でも楊枝のひとつのポイントに刻みこめてしまうのです。もちろんこれはあくまで理論上のことであって、現実にはそんなことは無理です。そこまで細かいポイントを刻みこむことは今の技術ではできません。中に詰められた情報量は楊枝の長さと関係ありません。問題はソフトウェアにあるのです。ハードウェアには何の関係もありません。それが楊枝であろうが二百メートルの長さの木材であろうがあるいは赤道であろうが、何の関係もないのです」(下125)
こういう理論があるんだろうか?村上春樹が考えたんだろうか?おもしろい。