海外飛び出すことになったブログ

やっと海外に住みはじめました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

Book Review『何者』と本事情少し

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

好き度: ★★★★☆


マラウイの田舎に本屋さんはほぼありません。首都でも、あったとしても商品ラインナップは聖書と学校の教科書のみ。。(^ω^)

バスの中や待ち時間(これでもかと待たされるその超長時間)でも、本を読んで過ごす現地人はみかけたことがありません。本を読む文化?習慣?はあまりないようです。

ですので。首都の事務所やドミトリーで山ほど紙媒体の本を借りてきています。次上京するときにまとめて返します。と同時に山ほど借ります。そういう流れです。

この「何者」に関しても、題名なんか聞いたことあるなーと思って手に取りました。


たぶん、100%著者の意図したとおりの感想を抱いているのですが笑、その衝撃や感じたことをメモ。

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自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。」310

ぐうぃぃーーんとえぐられる展開の中で、すぽっ(死亡)となるのがこの台詞につきる、、!
たぶんこの台詞になにかを感じるということは、自分が悪あがきする努力を怠っていてやばと思っている、もしくは悪あがきを経験した人が激しく同意しているケースだと思います。自分の場合は恥ずかしながら前者です。


「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」309

「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に進路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ」

「あなたが歩んでいる過程なんて誰も理解してくれないし、重んじてない、誰も追ってないんだよ、もう」253

「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。254」

ぐさぐさぐさぁ。


どんなストーリーかわかってないうちから、この主人公の「観察眼」(というか朝井リョウさんの描写力?)がすごいなーー細かい動作から「想像」させるなーと呑気に思ってました。

例えば、これ。元恋人同士の光太郎と瑞月さんを含む数名のグループでいるときのひとこま。

光太郎が遠く離れたところにあるカルパッチョを箸でつまむ。口に運ぶまでにタレがぽたりと一滴テーブルの上に落ちた。瑞月さんが何も言わずにティッシュでそのタレを拭き取る。84


このね、ある程度の年月をともに過ごしたひと同士の阿吽の呼吸はね、こういう細かなところから察せれるんですよね、うんうん。


あと、

「ハイ、わたしの用事終わり」と理香さんはパソコンの前から立ち上がった。さあどうぞ、と言わんばかりに、グーグルの検索画面が用意されている。162

あるある。その画面は、I'm done. の目印みたいなもんだ。

でもその観察眼が、というか観察の鋭さだけを拠り所にして、もがこうとしない主人公にぐさぐさぐさーっと反撃がくるのが衝撃でした。

観察眼の鋭い人、尊敬するしおもしろいし好きですけどね。


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登場人物たちのツイッターの投稿が重要な要素なんですが、ほんま「今の世の中」を反映してるなぁというのが2番目の印象です。

すべての本やドラマって何かしら世相を反映しているんだろうけども、これは特に。
50年後にこの本を読んだ人は、わけがわからんと思う!!

脚注に
「*1 就活 ・・・ 就職活動の略。2015年当時主流であった新卒学生一斉採用のプロセス。リクルート等の斡旋業者の採用サイト経由で学生は各企業にエントリーし、合同説明会に参加、エントリーシート(通称ES)と履歴書を提出し、面接を経て内定に至るのが一般的な選考過程」
とか説明が加えられてそう!

「*2 ツイッター・・・インターネット投稿サイト。公開アカウントと鍵アカウントの併用など、一人が複数のアカウントを使用することも一般的であった。」
とかも(笑)



俺たちは、人知れず決意していくようになる。なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。

光太郎が、成績証明書が必要になるくらいの段階にまで辿り着いていたことだって、ツイッターフェイスブックもメールも何もなければ、隠されていたような気持ちにはならなかったかもしれない。174

SNSって手段と目的を履き違えると大変なことになるよなーとつくづく思います。
かつて私もツイ廃と自称できるくらいツイッターにどっぷりつかってました。鍵アカが2つあって、ひとつは仲の良い友人のみ、もうひとつは一回会ったことがあるレベルのリア友を相互フォローしてて、小規模な方で愚痴やらなんやら吐き出しまくってました。

類は友を呼ぶ?のか、タイムラインに流れてくるのも友達の他人の悪口、仕事の愚痴とか。すごい負の感情の渦巻く環境でした(笑)

なにか愚痴ってないと本音をさらしてない、仮面をかぶっているから近づきにくい、みたいなキャラ付けになったんだろうか?詳しくは覚えてない(嫌なことはすぐ忘れる笑)けど、こんなに自分は大変だよ?みんなも不幸だよね?あーみんなも不幸ならもう少しがんばるかーみたいなカス思考でした。今文章にしてみてもぞっとする(笑)

パートナーの愚痴を匿名公開アカで垂れ流してて、それが発覚してもめたこともありました(笑)一時期「バカ発見器」と呼ばれたツイッターですが、私のリテラシーも低すぎでしたねー。いや人間性的にもひどかったし。ほんまダメエピソード山ほどあるなーー笑えない。


自分の話になってしまったけど、本や映画を楽しむときは、その時代背景も勉強しつつ楽みたいなーと思った次第です。

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現代の就活プロセスを人並みに経験した私としては、事前に話してなかったのに面接会場で鉢合わせ、とか一方的に見かけて"しまった"ときのなんとも言えないきまずさだったり、ツイッターで内定でたってつぶやいてる友達におめでとうと素直に言えなかったり、あったあったと思い出されました。

もう経験したくないなぁという就活の思い出。避けれんけど。学生時代よりはメンタル強くなってるはずやけど。TAKE IT EASYですわ。