工夫と便利さと進歩と
具体例①
買ったケチャップの内蓋(っていうの?)の先っぽが明らかにデフォルトでつまってて、なんでやねーんと思いながら針とドライバーでなんとか貫通させた。
「先に穴を開けてください」的な表示があるかと思ってパッケージを眺めたけど、そういうのはなさそう。
家族に報告すると、「ハサミで先っぽ切るんじゃない?」と。ほう、なるほどね!
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具体例②
人んちいくたびに「お風呂どうやって入ってますか?」って聞かないかん。(どこに着替え置いたら濡れんとか、ここはサンダルはいてねとか)
シャンプーいれるかごも、服おくバケツも、ついでにトイレットペーパーホルダーも針と紐で自分で設置した。
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考えたこと
あらゆることに関して、「誰にでもわかりやすく、使いやすく」みたいな発想はない。全部消費者任せ。
逆に、日本は生産者がいろいろ負担しすぎる。おかしの箱のミシン目の開け方まで表示してあったり、電車の「傘など忘れ物にご注意下さい」だったり。
でもそれはよりよく、より快適に、他と差をつけてより売れるようにっていう工夫の先にあるものやけん悪ってわけじゃない。むしろ、だからこそ発展があったんだろう。
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『めんどくさがりが世界を変える』って中学校の数学の先生が言ってた意味が今更ながらなんとなくわかる。
具体例③
ぶつぶつおしゃもじが登場したとき、「うわーーーーほんまにおしゃもじにお米がつくっつかん!!!すごい!!」と狂喜乱舞したけど、いまやそれがおしゃもじのスタンダード。
マラウイで買えるものですら、これ!
誰かが「くっついた米はがすんめんどくさいなぁ、そもそもくっつかないようにするには、、?」と考え工夫した結果、技術が一歩前進したんだと思う。
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具体例④
こっちの人は自分でれんがをつくって、組み立てて、セメントまぜて、家を建てる。日本じゃ考えられんけど、泥まみれになりながら、ご近所さんと一緒になって小さい子も自分の家づくりに参加する。
素人づくりなので、もちろん隙間だらけだったり脆かったりして不便。ただこっちの人はその不便さに慣れているので、何も変えない。親世代から聞いた技術をそのまま適用して、大きな改良や進歩はない。
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具体例⑤
こっちの家の掃除は、ほうきがけじゃなくてモップがけがスタンダードだそう。いくら掃いても砂っぽくてげほげほだから。毎朝じゃぶじゃぶモップで二回通り拭く。
「め、めんどく(以下りゃ)」って思うけど、「私たちは小さい頃から教わって、これに慣れてるからね!^^(どや)」と現地人は胸を張るので何とも言えない。
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便利さを追求しすぎて日本息苦しいな、人間は傲慢だな、もっとシンプルに生きようぜ、、って思っていたけど、マラウイに来てから少し考えが変わった。
不便さに慣れてみんな不幸のままでいるより、どんどん新しいことを試して工夫を積み重ねてみんなでハッピーを享受する方がいい!
後進国が不幸だなぁと思うのは、自分たち自身が工夫を積み重ねる過程を経なくても、他の国にすでに工夫されたものが存在して、その結果だけが見えてしまうこと。
「(もともとお金持ちだから、)先進国は途上国に援助すべき」というのは間違ってて、一歩一歩の積み重ねが産業革命やら情報革命やらでばーーんとおっきく飛躍して、もともと進んでいたように見えるだけ。
翻って個人について見ると。私個人がなにか創意工夫して技術の進歩に貢献したわけじゃない。たまたま先人が頑張ってきた国に生まれただけ。ほんで便利さを享受させてもらってるだけ。
だから、ホリエモンとかナツメグさんとかはあちゅうとか新しいことにわくわくして行動してる人はまぶしーーーかっこいいーーー!!って思う。
バリュー、生み出さないと!