海外飛び出すことになったブログ

やっと海外に住みはじめました。ミーハーな海外フリークがthinkとdoをこつこつ記録します。

生活していて気づいたマラウィアンと日本人の類似点を絞り出してみる

日常は何か考えているようで何も考えてなくて日々が過ぎていく、、形に残すとああ自分この世に存在してたんだな、と認識できるのでやっぱ書いて残そうと決意。

 

マラウイの人たち、最初の方は日本人と違うところばっかりが目についてしゃーなかったけど、たまーに、ごくたまに「あ、一緒やん!!」って思う点があります。

 

それをメモ。

 

1. 否定疑問文に対する返しが日本語と同じ

私にとって一番はじめに習った外国語は英語で、否定疑問文とか付加疑問文の返し方がすごい苦手でした。

よくあるのが

"Don't you mind me opening the window?"

「私が窓を開けるのをあなたは気にしませんか?」=窓開けてもいい?ってやつです。

 

→Yes! と答えると英語では「うん、気にする。(開けないで!!!)」の意味になります。

→No!と答えると「全然!(どうぞご自由にあけてくださーい)」です。

 

"You were not there, were you?"

「あなたそこにいなかったよね?」

→Yes!「はい、そこにいました!」

→No!「いいえ、そこにいませんでした。」

 

英語と日本語ではとらえかたが違うようで、上のようなへんてこりんな感覚に陥ります。

 

しかし。マラウイは日本語と同じ返し方をするようなんです!わかりやすい!いや逆にわかりにくい!

マラウィアンと英語で話していて、上のような会話になったとき、(この人は英語の正しい文法で話しているのか、または現地のチェワ語的発想で話しているのか、、?)と考えざるをえません。

 

YesとかNoそのものではなく、その後に続く文脈で判断できるから問題はないけど!

 

2. 女が料理すべきって共通認識

「言わずもがな」というべきか、当然のように女の人がごはんを作って男の人にふるまいます。同僚の家に遊びに行ったときとか、ミーティングが村であるときとか。。

 

私は(たぶん)フェミニストではないんですが、単に料理があまり好きではないので、フェミ論をふりかざして料理から逃れようとしています。笑

 

女性なら料理あんましないって言うだけで、悪評がたつこと受け合い!

 

 

3. 結婚すべき!って共通認識

なんか2と3は日本と同じというか、日本のおばあちゃん世代の気風が今もメインストリームって感覚でしょうか。

 

結婚してるの?何歳?30で結婚してない?!何事?!?!

 

というハラスメントを日々受けます。でも彼らに悪気はなく、それが当然だと思っているんです。日本のおばあちゃんたちとほんまに似てる!!

 

日本はそれを言ったのが職場の男の上司とかならせくしゃるはらすめんと~~って非難できる段階まで来てるけど、親類間の会話なら普通にでてきますよね。まぁ多かれ少なかれ日本でふつふつと抱いていた感情をマラウイでも全く同様に感じています。

 

4. 食べれば食べるほどいいと思ってる。。

日本の おばあちゃんももりもり食べるとそれだけで喜びますよね。逆にあんま食べないとそれだけで心配しますよね。

それです

 

 

図らずも2~4は愚痴めいたものになってしまいましたが、なんやかんやで同じ人間なんで、おいしいもの食べたら嬉しくて、親しい人が病気になったら悲しくて。シンプルですね。

 

1. みたいな発見ができたらおもしろいから、日々目を光らせてすごそうと思いまーす


f:id:locayrica:20171205212602j:image

マラウイの世界遺産と暫定リスト

世界遺産検定2級とって以降、何も有効活用してないので。マラウイ世界遺産についてメモしておきます。正式な日本語名は調べてません。

 

マラウイで登録されている世界遺産は2つ。

1 チョンゴニ岩の絵画地区

文化遺産

 

2 マラウイ湖国立公園

自然遺産!

 

あと、登録される候補になっている暫定リストには6つ。

 

①ムランジェ山生物圏保護区

②ニーカ国立公園

③クルビと関連ムボナ聖雨寺院群

(謎すぎる、、)

マラウイ奴隷の道とリビングストントレイル

⑤チルワ湖湿地

⑥ブワザ湿地野生生物保護区

文化遺産は③と④かな?‘’自然より文化派‘’な私としてはチェックしておきたい!

 

 

ミーハーなので世界遺産ってだけで少しテンションが上がります。実際、世界遺産に指定されると観光客の数も増えてお金いっぱい落としてくれるようになるだろうから、国の戦略としては大事と思います。

 

でも、こんな小さい貧しい国が他のでっかい強い国と肩を並べて自国のサイトを登録までもっていくっていうのはかなりの労力が必要なんだろうなぁ。。

 

参考:

 http://whc.unesco.org/en/statesparties/MW/

 

工夫と便利さと進歩と

具体例①
買ったケチャップの内蓋(っていうの?)の先っぽが明らかにデフォルトでつまってて、なんでやねーんと思いながら針とドライバーでなんとか貫通させた。

f:id:locayrica:20170920143244j:image

 

「先に穴を開けてください」的な表示があるかと思ってパッケージを眺めたけど、そういうのはなさそう。

家族に報告すると、「ハサミで先っぽ切るんじゃない?」と。ほう、なるほどね!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

具体例②
人んちいくたびに「お風呂どうやって入ってますか?」って聞かないかん。(どこに着替え置いたら濡れんとか、ここはサンダルはいてねとか)


f:id:locayrica:20170920143350j:image

シャンプーいれるかごも、服おくバケツも、ついでにトイレットペーパーホルダーも針と紐で自分で設置した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

考えたこと

あらゆることに関して、「誰にでもわかりやすく、使いやすく」みたいな発想はない。全部消費者任せ。

 

逆に、日本は生産者がいろいろ負担しすぎる。おかしの箱のミシン目の開け方まで表示してあったり、電車の「傘など忘れ物にご注意下さい」だったり。

 

でもそれはよりよく、より快適に、他と差をつけてより売れるようにっていう工夫の先にあるものやけん悪ってわけじゃない。むしろ、だからこそ発展があったんだろう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『めんどくさがりが世界を変える』って中学校の数学の先生が言ってた意味が今更ながらなんとなくわかる。

 

具体例③
ぶつぶつおしゃもじが登場したとき、「うわーーーーほんまにおしゃもじにお米がつくっつかん!!!すごい!!」と狂喜乱舞したけど、いまやそれがおしゃもじのスタンダード。

f:id:locayrica:20170920143513j:image

 

マラウイで買えるものですら、これ!

 

誰かが「くっついた米はがすんめんどくさいなぁ、そもそもくっつかないようにするには、、?」と考え工夫した結果、技術が一歩前進したんだと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

具体例④
こっちの人は自分でれんがをつくって、組み立てて、セメントまぜて、家を建てる。日本じゃ考えられんけど、泥まみれになりながら、ご近所さんと一緒になって小さい子も自分の家づくりに参加する。

 

素人づくりなので、もちろん隙間だらけだったり脆かったりして不便。ただこっちの人はその不便さに慣れているので、何も変えない。親世代から聞いた技術をそのまま適用して、大きな改良や進歩はない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

具体例⑤
f:id:locayrica:20170920143625j:image

 

こっちの家の掃除は、ほうきがけじゃなくてモップがけがスタンダードだそう。いくら掃いても砂っぽくてげほげほだから。毎朝じゃぶじゃぶモップで二回通り拭く。

 

「め、めんどく(以下りゃ)」って思うけど、「私たちは小さい頃から教わって、これに慣れてるからね!^^(どや)」と現地人は胸を張るので何とも言えない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

便利さを追求しすぎて日本息苦しいな、人間は傲慢だな、もっとシンプルに生きようぜ、、って思っていたけど、マラウイに来てから少し考えが変わった。

 

不便さに慣れてみんな不幸のままでいるより、どんどん新しいことを試して工夫を積み重ねてみんなでハッピーを享受する方がいい!

 

後進国が不幸だなぁと思うのは、自分たち自身が工夫を積み重ねる過程を経なくても、他の国にすでに工夫されたものが存在して、その結果だけが見えてしまうこと。

 

「(もともとお金持ちだから、)先進国は途上国に援助すべき」というのは間違ってて、一歩一歩の積み重ねが産業革命やら情報革命やらでばーーんとおっきく飛躍して、もともと進んでいたように見えるだけ。


翻って個人について見ると。私個人がなにか創意工夫して技術の進歩に貢献したわけじゃない。たまたま先人が頑張ってきた国に生まれただけ。ほんで便利さを享受させてもらってるだけ。

 

だから、ホリエモンとかナツメグさんとかはあちゅうとか新しいことにわくわくして行動してる人はまぶしーーーかっこいいーーー!!って思う。

 

バリュー、生み出さないと!

 

Book Review『何者』と本事情少し

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

好き度: ★★★★☆


マラウイの田舎に本屋さんはほぼありません。首都でも、あったとしても商品ラインナップは聖書と学校の教科書のみ。。(^ω^)

バスの中や待ち時間(これでもかと待たされるその超長時間)でも、本を読んで過ごす現地人はみかけたことがありません。本を読む文化?習慣?はあまりないようです。

ですので。首都の事務所やドミトリーで山ほど紙媒体の本を借りてきています。次上京するときにまとめて返します。と同時に山ほど借ります。そういう流れです。

この「何者」に関しても、題名なんか聞いたことあるなーと思って手に取りました。


たぶん、100%著者の意図したとおりの感想を抱いているのですが笑、その衝撃や感じたことをメモ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。」310

ぐうぃぃーーんとえぐられる展開の中で、すぽっ(死亡)となるのがこの台詞につきる、、!
たぶんこの台詞になにかを感じるということは、自分が悪あがきする努力を怠っていてやばと思っている、もしくは悪あがきを経験した人が激しく同意しているケースだと思います。自分の場合は恥ずかしながら前者です。


「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」309

「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に進路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ」

「あなたが歩んでいる過程なんて誰も理解してくれないし、重んじてない、誰も追ってないんだよ、もう」253

「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。254」

ぐさぐさぐさぁ。


どんなストーリーかわかってないうちから、この主人公の「観察眼」(というか朝井リョウさんの描写力?)がすごいなーー細かい動作から「想像」させるなーと呑気に思ってました。

例えば、これ。元恋人同士の光太郎と瑞月さんを含む数名のグループでいるときのひとこま。

光太郎が遠く離れたところにあるカルパッチョを箸でつまむ。口に運ぶまでにタレがぽたりと一滴テーブルの上に落ちた。瑞月さんが何も言わずにティッシュでそのタレを拭き取る。84


このね、ある程度の年月をともに過ごしたひと同士の阿吽の呼吸はね、こういう細かなところから察せれるんですよね、うんうん。


あと、

「ハイ、わたしの用事終わり」と理香さんはパソコンの前から立ち上がった。さあどうぞ、と言わんばかりに、グーグルの検索画面が用意されている。162

あるある。その画面は、I'm done. の目印みたいなもんだ。

でもその観察眼が、というか観察の鋭さだけを拠り所にして、もがこうとしない主人公にぐさぐさぐさーっと反撃がくるのが衝撃でした。

観察眼の鋭い人、尊敬するしおもしろいし好きですけどね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

登場人物たちのツイッターの投稿が重要な要素なんですが、ほんま「今の世の中」を反映してるなぁというのが2番目の印象です。

すべての本やドラマって何かしら世相を反映しているんだろうけども、これは特に。
50年後にこの本を読んだ人は、わけがわからんと思う!!

脚注に
「*1 就活 ・・・ 就職活動の略。2015年当時主流であった新卒学生一斉採用のプロセス。リクルート等の斡旋業者の採用サイト経由で学生は各企業にエントリーし、合同説明会に参加、エントリーシート(通称ES)と履歴書を提出し、面接を経て内定に至るのが一般的な選考過程」
とか説明が加えられてそう!

「*2 ツイッター・・・インターネット投稿サイト。公開アカウントと鍵アカウントの併用など、一人が複数のアカウントを使用することも一般的であった。」
とかも(笑)



俺たちは、人知れず決意していくようになる。なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。

光太郎が、成績証明書が必要になるくらいの段階にまで辿り着いていたことだって、ツイッターフェイスブックもメールも何もなければ、隠されていたような気持ちにはならなかったかもしれない。174

SNSって手段と目的を履き違えると大変なことになるよなーとつくづく思います。
かつて私もツイ廃と自称できるくらいツイッターにどっぷりつかってました。鍵アカが2つあって、ひとつは仲の良い友人のみ、もうひとつは一回会ったことがあるレベルのリア友を相互フォローしてて、小規模な方で愚痴やらなんやら吐き出しまくってました。

類は友を呼ぶ?のか、タイムラインに流れてくるのも友達の他人の悪口、仕事の愚痴とか。すごい負の感情の渦巻く環境でした(笑)

なにか愚痴ってないと本音をさらしてない、仮面をかぶっているから近づきにくい、みたいなキャラ付けになったんだろうか?詳しくは覚えてない(嫌なことはすぐ忘れる笑)けど、こんなに自分は大変だよ?みんなも不幸だよね?あーみんなも不幸ならもう少しがんばるかーみたいなカス思考でした。今文章にしてみてもぞっとする(笑)

パートナーの愚痴を匿名公開アカで垂れ流してて、それが発覚してもめたこともありました(笑)一時期「バカ発見器」と呼ばれたツイッターですが、私のリテラシーも低すぎでしたねー。いや人間性的にもひどかったし。ほんまダメエピソード山ほどあるなーー笑えない。


自分の話になってしまったけど、本や映画を楽しむときは、その時代背景も勉強しつつ楽みたいなーと思った次第です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現代の就活プロセスを人並みに経験した私としては、事前に話してなかったのに面接会場で鉢合わせ、とか一方的に見かけて"しまった"ときのなんとも言えないきまずさだったり、ツイッターで内定でたってつぶやいてる友達におめでとうと素直に言えなかったり、あったあったと思い出されました。

もう経験したくないなぁという就活の思い出。避けれんけど。学生時代よりはメンタル強くなってるはずやけど。TAKE IT EASYですわ。

電気製品以外のもので初めて日本製品みっけた

家にひとつは欲しい接着材。

マーケットに買いに行ったら、「Material from Osaka, Japan」の文字がみえたので、迷うことなく購入。

f:id:locayrica:20170915164728j:plain

会社名がSTICKO、Super Glue がシリーズ名なのかなんなのかよくわからんくて、ぐぐってもそれらしいのが出てこない。。どこの会社なんだろか!

70クワチャ(10円)なので、期待はせずに使ってみようと思いますー

Book Review『パリでメシを食う。』

 

パリでメシを食う。 (幻冬舎文庫)

パリでメシを食う。 (幻冬舎文庫)

 

 

好き度: ★★★☆☆

 

友達のすすめで読み始めた川内有緒さんの本2冊目。パリに生きる日本人10人のライフストーリー。

 

背中を押してくれるパワーワードが盛りだくさんで、かつ外国という環境で生きる彼らの言葉に「激しく同意!!」となるところが多々ありました。変に肩肘張らずにコツコツ踏み固めていったらいいのかねーなんて気になりました。

 

「だって、上昇するために生きていくんでしょう、人って。上昇することをやめたら切ないよねえ。夢は夢だから叶わないって決めちゃう人っているでしょう。自分で見切りをつけてる。でもつけなければ、絶対に叶うのにねえ」

絶対に、といえるあたりが素敵。絶対と信じるのがカギなんかな。

 

本当は、何もかも自分のことだけで、人のためにどう役に立てるかなんて考えていないのかも。

ただおいしいものを作りたいというシェフ。必ずしも人のためにっていうのが動機じゃなくてもいいんだ。

 

「以前は後ろに引きこもって、動かなくて後悔してた。今はこっちに一人でいる分、だめもとで働いてみようって思うようになりました。パリに来て、私は確実に強くなっていると思います。もし日本にいたら...たぶんナアナアになってたと思う。こっちでは、起こること全てが自分に降りかかってくるので」

マラウイとパリではもちろん違うんだが、この感覚わかる。めきめき日々の強化を実感できる!

 

この世の中には、『何をしたいか』を語る奴が多すぎる。思っているなら、やらないとね。とにかく一歩を踏み出せば案外うまくいく。だから、みんな一歩を踏み出せばいいのにって思っているんだ

デザイナーの言葉。強者の論理っぽいけど、どこかあったかい。

 

目標が定まった修子さんは、目隠しをされた競走馬のごとくガムシャラに働き始めた。

 

「学校でも若い子たちはフェット(パーティ)に行ったりするけれど、外に出るお金がかかるじゃないですか。だから私は行きません!フランス語はフランス人と話して、お金をかけずに覚えようと。カフェに行くと一杯のコーヒーで三時間くらい勉強しました。毎日行くからカフェの人とも知り合いになって。いつも『また勉強してるの、君は勉強しすぎだよ。少し休んだら』と言われてました。学校でも『あなたはがんばりすぎてる』って言われて。でもすべては自分のためじゃないですか。好きなことを勉強してるので苦にならないし、そのために今までがんばってきたので」

ストイックさが美しい!すがすがしい!

 

また、こんな人も。

「あたしね、行く前に軽いうつ状態になってたの。精神的、肉体的なストレスがすごくて。何もかもうまくいかなくて。今思えば、それがあたしにとってすごく大切な時期だったのかも。今のあたしがあるのは、あの時期があるから。あの頃は、ちょっとフワフワしてた。頭がぼんやりしてる感じ。だから、外国に行くって言っても、緊張感とかなかった」

スクワットで画家をする女性。人生いろんな局面がある。

 

誰にも、その人の居場所はこの世のどこかにある。

 

 「人生で一番大切なことは、自分の好きだと思うことを守って、追い求めること。好きなもの、そして好きな人も」

 

始めることより、その後続けていくほうが大変ですから

始めることにとらわれていると先は長い!

 

一人のフローリストがアフリカに惹かれる理由。

「本物が見られるから。すべて本物。文明も、その弊害も。自然も。全てがあからさまに見える。自然と文明が共存していて、明らかに自然が文明に勝っている。アロエとか見たことあります?何メートルもある。あれが本当のアロエなんですよ」

つい先日農家さんの畑でアロエを見たばかり。でかかったし猛々しかった。

 

For my information

外国人が労働許可を取得するためには、本人ではなく雇用主の根気がためされる。高い失業率の中で「なぜあえて外国人を採るのか」ということを説明しなければならない。それを証明するためだけに、求人を職業案内所に出し、フランス人が応募してきたら試しに雇用し、二人を比較することまで求められる。その上で「やっぱり外国人を雇用したい」という結論になれば、初めて労働許可の申請ができる。申請が通ると今度は、高額の税金を納めなければならない。つまり、かかる時間も手間も経費もフランス人を雇用する場合よりはるかに多く、それだけのメリットがないと食指が動かないのが外国人の採用だ。

国内の雇用を守るためにフランスも策を講じとんやなぁ。

 

終わり!

Book Review『世界の終りとハードボイルド·ワンダーランド』

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

 

 好き度: ★★☆☆☆ 

村上春樹の本は5つめ。まだまだやけど、なんとなく雰囲気がつかめてきた!


この本はよくわからないけど、二つの物語が交錯していく。図書館、というところのリンクでやっとはっとさせられた。下巻のまあまあ最後の方。

 

喜怒哀楽をかかえながらも有限の人間生活を送りたいって話だろうか。よくわからないな。そうかもしれない。笑

 

二つが交錯していくこの感じ、どこかで経験したなーと思ってたのが、「海辺のカフカ」だ!あれはおもしろかった!

 

この小説、1985年のものなのに古くささを感じさせるものが圧倒的に少なくて、「西ドイツ」くらい。「ガス給湯器」?もそうかな。でもなんとて古くさくないのが不思議にすごい。話は空想でほんとによくわからない。

 

いっつも笑ってしまう独特な表現たちをメモメモ!

 

ただの太った女なら、それはそれでいい。ただの太った女は空の雲のようなものだ。彼女はそこに浮かんでいるだけで、私とは何のかかわりもない。しかし若くて美しくて太った女となると、話は変わってくる。私は彼女に対してある種の態度を決定することを迫られる


要するに彼女と寝ることになるかもしれないということだ。それがおそらく私の頭を混乱させてしまうのだろうと思う。(上22)

 

火箸は頭骨とは逆にずっしりと重く、まるでフルトヴェングラーベルリンフィルを指揮するのに使う象牙のタクトのような威圧感があった。(上121)

フルトヴェングラーきたーー(゜ロ゜)笑

 

たくさんの数の女と寝れば寝るほど、人間はどうも学術的になっていく傾向があるみたいだ。性交自体の喜びはそれにつれて少しずつ減退していく。性欲そのものにはもちろん学術性はない。しかし性欲がしかるべき水路をたどるとそこに性交という滝が生じ、その結果としてある種の学術性をたたえた滝つぼへと辿りつくのだ。(上127)

 

自分で言うのもなんだけど、それほど質は悪くないよ。、、ほんとうのことを言うと気違いですらない。まあ多少偏屈で頑迷で自己過信のきらいはあるけれど気違いではない。これまで誰かに嫌われたことはあっても気違いと言われたことはない (上141)

 

私はゆっくりと小便をつづけた。その小便を終えるのに二分くらいの時間がかかったと思う。そのあいだ背後では「ボレロ」が聴こえていた。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。(下238)

これはまじで評価したいwww思わずボレロを口ずさんでしまった!笑

 

私の勃起はガザのピラミッドのように完璧だった(下巻280)

 すごいよね、完璧さの比喩有能すぎやろ。。笑

 

あと、かわいい描写。

彼女は右手を自分のコートのポケットに入れ、左手を僕のコートのポケットに入れていた。僕は左手で小型のトランクを持ち、右手でポケットの中の彼女の手を握っていた。(下111)


あと、物語の本筋とは関係ないけど、「百科事典棒」という理論がおもしろかった!

 

「百科事典棒というのはどこかの科学者が考えた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻みこめるという説のことですな。どうするかわかりますか?」

「わかりませんね」

「簡単です。情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置き換かえます。ひとつひとつの文字を二桁の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合です。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。 そしてそれを並べたいちばん前に小数点を置きます。するととてつもなく長い小数点以下の数字が並びます。0.1732000631・・・という具合ですな。次にその数字にぴたり符合した楊枝のポイントに刻みめを入れる。つまり0.50000000・・・に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0.3333・・・なら前から三分の一のポイントです。意味はおわかりになりますな?」

「わかります」

「そうすればどんな長い情報でも楊枝のひとつのポイントに刻みこめてしまうのです。もちろんこれはあくまで理論上のことであって、現実にはそんなことは無理です。そこまで細かいポイントを刻みこむことは今の技術ではできません。中に詰められた情報量は楊枝の長さと関係ありません。問題はソフトウェアにあるのです。ハードウェアには何の関係もありません。それが楊枝であろうが二百メートルの長さの木材であろうがあるいは赤道であろうが、何の関係もないのです」(下125)

こういう理論があるんだろうか?村上春樹が考えたんだろうか?おもしろい。